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日記とは?

[ 156] よしもとばなな公式サイト[日記]
[引用サイト]  http://www.yoshimotobanana.com/cgi-bin/diary/diary.cgi

次郎くんとたけしくんとおおしまさんが来たので、またちょっとにぎやかになる。 この町の過疎具合と言ったら、もう笑ってしまうくらいだ。店はほとんど開いていないし、人もいない。悪い夢の中にいるみたい。 でも「海のふた」に描いた柳は健在だった。ぼろぼろの幹に手を触れて少しでも元気になってほしいとお祈りしたら、ものすごい力で押し返された。あたかも「いやいや、こっちがそっちを元気にしてあげるのがすじだ」と言われたような感じ。手の感覚を鍛えて鋭敏にしていると、そういうファンタジックに思えることが普通に感じられるようになるものだ。「そうか、なにごとも相互に与え受け取るものなんだな」としみじみ思って気功的に気を自分と木の双方に循環させてみたり、ううむ、自然と交流。ひまもいいものだなあ。 昨夜は清乃がないので、おつまみがおいしい屋台村に行った。ご家族でやっていて感じがよい。そこでなんの気なしに次郎のとなりに座ったら、自分の中で浮いていたなにかがぴたっと決まったのがわかった。この人生いったい何回居酒屋で次郎のとなりに座っただろう(多分二十三年で四百回以上)。その歴史が自分を落ち着かせたのだ。かけがえのないことだと思った。
チビの「りさっぴ、とにかくはだかをみせて〜」というパワハラ&セクハラも少し落ち着いて、昨日はビスコをほおばりながら寝たうえに、寝ゲロを吐いていた。心配〜。 海にはなぞの青いクラゲ(多分カツオノエボシの幼生)がいっぱい浮いていて、泳ぐのも命がけになってきたので、波打ち際で遊んで過ごす。ものすごいひま。もうひますぎてついに鈴やんにパソコンを借りて日記を書いている。 森先生の「ゾラ・一撃・さようなら」なんてもう二回くらい読んだ。時間のありすぎる海辺で読むのにぴったりだ。石原夫妻がシャンパンやワインを持ってきてくれたので、ますますよし。「cure juzz」を聴きながら読んだらもうあまりにもぴったりきすぎてびっくり。そしてきっとこのあまり飲まない主人公よりも、読んでいる期間の私の酒量のほうが絶対多い。 この小説はよくよく読んでみるといつものようにかなり飛ばして書いているし多分あちこちにアラもあるんだろうけれど、森先生が新しい何かにチャレンジしていること、そしてそれが成功していることがよくわかる。真智子さんのことをただとてつもない美人と書いてあるだけで内面の描写がほとんど成されてないのに、もうどうしようもなくひきつけられていく主人公の気持ちが痛いほどわかる。それから、なかなか女っぷりのよい女性たちに囲まれているのになぜか空しいという感じもよく描かれている。 そのあたりの描写と法輪というおじいさんとの会話の描写がすばらしすぎて、見事!と拍手したいような気持ちになった。いくつか考えられないようなすごい表現があり、太刀打ちできないな、と思った。
道が陥没していたせいか、もうお盆すぎているからなのか、人がいない。海にも人がほとんどいない。前田くんとたかちゃんとりょうくんを送りに港まで行く。船が去っていくといつも胸がきゅんとなる。でも帰ったら鈴やんと末次夫妻が来ていた。それでまた気持ちが明るくなる。さびれた町は悲しすぎる。陽子ちゃんのいない海は十年ぶりくらいで、それも淋しすぎる。 気晴らしに船で戸田にでも行こうかと思っていたけれど、やってきた船の小ささとゆれっぷりを見てきっぱりあきらめた。 私は自然なんて全く好きじゃないはずなのに、たまに沖でひとりになって魚と遊んだりふっとあたりを見ると、あまりにも全てがはっきり見えて目が覚めたみたいになる瞬間があり、そのときはもうなにもいらないと思う。海と景色と自分だけでいい。浜には子供や友人が待っているけれど、その人たちを愛しているという気持ちだけここにあるし、もう会えなくてもいい。そのくらい満ち足りた瞬間だ。 そしてそういうときを味わうたびに「死ぬ時がたまたまこういう気分だといいな」と思う。
「ひな菊の人生」という私がいちばん好きな小説はほとんど焼きそばが主役である。その焼きそばのモデルになったお店がついに閉店してしまった。伊藤(旧姓)尚美ちゃんの実家である根津の花や(この味も私のふるさと)のことではなく、土肥の清乃というお店だ。私たちは毎晩そこへ行き、飲んで語り合って焼きそばを食べた。清乃さんとご主人ともどんどん親しくなった。去年の最後「また来年ね」と言われたとき、ああ、来年はないな、と思った。彼女の顔がそう語っていた。 帯津先生のおっしゃる通り、これが「旅情」だ。人生の大切な味だ。 そして「小説に書いておいてよかった」とも思った。自分よりは少なくとも数十年はあの焼きそばは長く生き残るだろうから! 全然関係ないが、人生エンジョイ派にはその考え方特有の弱いところ、だめなところ、インチキなところがあり、同時にものすごい瞬発力や強さ豊かさもあると思う。私は小説家だからまあエンジョイ派の片端にいて、なるべくよい瞬間、きらきらしたもの、死んでもいいと思う瞬間を集めがちだが、そうでなかったら多分地道に孤児院とかかけこみ寺を経営していただろう。ゲイや占い師の友達が多いのは、彼らは基本的な人生の形からはじきだされた存在で、ただ今をエンジョイするしかないからだろう。その性癖ゆえに家族と円満もむつかしいし、子孫を残すのもむつかしい、普通の会社で出世することもかなりむつかしい。私も全くその通りの人間だから、気が合う。 逆にとにかく形を生きて、その中で絶対的に自分を貫く派にも、その派なりのとてつもない強さ豊かさがあるし、思わぬ弱さなどもあるだろう。 いずれにしても自己を極めていくと、人は最終的に同じところにたどりつくだろうと思う。宗教的な地点でもなく、あきらめでもない、むだがなく合理的で、抽象的な意味での標高の高い地点だろう。大切なのは他の生き方を排除しないこと、愛情を持って尊重することだろうと思う。でないといろいろな種類の人がいる意味がゼロだし、愛という言葉の意味がぺらぺらになる。
虫歯があるので旅先で痛くなるのはいやだと思い、自ら歯医者に行って、がんがん麻酔を打ってもらって一気に治療してもらったら、中野先生に「よしもとさん、君はほんとうにえらくなったね!子供ができると親も大人になるんだね、自分で来たし、歯もきちんと磨けているし、私は感心しました。見直しました。昔とは歯に対する意識が全然違う。成長したんだね!」とほめられたので嬉しかったけれど、この歳になってこのほめられかたをするって、なんだか情けない…。 両親が大丈夫そうなので、やはり少しでも海に行っておこう、ということになったものの、母が病院に行って疲れて行く気を失ったり、インターホンが壊れて何回も修理したりして二転三転、やっと旅立てる。どうなることかと思った。でもなんかまだ不安なくらい。

 

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