大義とは?
[ 605] 大義
[引用サイト] http://ryutukenkyukai.hp.infoseek.co.jp/taigi_1.html
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明治維新以来、日本という国の掲げた大義とは、1918年(大正8年)の第一次大戦パリ講和条約における日本の決議案が全てを物語っている。十六カ国が参加した同会議で日本は「国際連盟規約に人種差別撤廃を規定せよ」と求めた。しかし米英など五カ国が反対し、米ウイルソン民主党大統領は「全会一致でない」という理由を強弁してこの決議案を否決、以って日本は武力によってその大義を実現せざるを得なくなったのである。人種差別の撤廃、人類の平等を世界のスタンダードとするためには、白人の植民地を解放しなければならないが、「話し合い」なんかで白人が既得権益を手放す筈がない。ましてや有色人種だと見下げていた日本の主張に耳を傾ける気もまったくない。白人列強が全世界を武力で支配する中、極東の小さな有色人種の国ただ一国だけが人種平等の旗を人類史上初めて高く掲げ、そして虐げられた全植民地下の有色民族たちの「希望の星」となった。ここに日本が追い求め続けた大義がある(538頁)。 加藤紘一や管直人など「大義がない」と主張する人物は例外なく自虐史観の権家のような人間ばかりである。日本人のくせに日本の大義を共有できないような人間には、他国の大義を云々する資格など一切ない(538頁)。 自国が戦った戦争を「善」とするのか「悪」とするのかは、その国自身が判断するべきことなのだ。多くの国民が生命を捧げた自国の戦争を後代の首相が「悪」と断じることは、祖国への背信だと言っても過言ではない。戦争とは国益の衝突である以上、日本の戦いは「国益を妨げる障害」との戦い、つまり日本にとっての「悪」との戦いであったのだ。日本が「悪」であったのではない。日本にとっての「悪」と戦ったのだ(539頁)。 確かに日本は、近現代の三回の戦争によって大中華覇権主義や白人植民地主義を打倒したが、前述のように大東亜戦争では共産主義の謀略に敗れたのだ。日本のみならず米国も共産主義の謀略に敗れ、第二次大戦はソ連と中共のみが利益を得る結果となった。これを教訓としたる共和党と日本が、アジアに残る最後の共産主義国たる中共と北朝鮮を打倒することによってのみ、真の「勝利」は得られるのであり、日本が新たな「戦勝国」となることだけが、日本がかって敗戦によって失った「正義」の立場を取り戻してくれる。欧州を軍事力で制覇したナポレオンは何故現在は「悪」とされず、ヒトラーは何故「悪」なのか。それはフランスが現在戦勝国の立場にあるからだ。前の戦争の結果によって生じた立場は、次の戦争結果によって変わる。戦勝国による戦後秩序も歴史のカバー・ストーリーも、全て次の戦争の結果が打ち崩す。第二次世界大戦によって第一次大戦の勝敗が霧散したように、第二次大戦の結果による影響は、日本が当事者となる新たな戦争に勝利することで消えるのだ(540頁)。 白人植民地の解放と自存自衛の戦いという日本の「正義」は、戦勝国の主張する「正義」とは相反していたから、戦後日本は「悪」のレッテルを貼られた。すなわち日本と戦勝国との国益が相反していただけである。そして日本が負けた相手はアメリカだけであり、シナにも欧州にも負けていない。つまり、日本の「正義」とは、日米関係の変化の中でのみ蘇り得るものなのである。英国の高名な歴史家H・ウエルズは「大東亜戦争は、植民地主義に終止符を打ち、白人と有色人種との平等をもたらし、世界秩序の基礎を築いた」と述べているが、我が日本は昭和の大戦において世界秩序の基礎を築きつつも、名を捨てて実を結実させた結果となった。次はその世界秩序の再編をもって日本が名を取り戻すべきときなのだ(540頁)。 日本が失った名とは、すなわち国家の「名誉」である。タイのククリット・プラモード首相は「我々が白人と肩を並べて語れるようになったのは、誰のおかげか。大東亜戦争があったからではないのか」と語り、日本に感謝する「12月8日」という一文を新聞に載せている。インドのラダ・クリシュナン大統領は、「インドが独立できたのは、日本のおかげである。インドのみでなく、ベトナムもビルマもインドネシアも西欧の植民地はすべて、日本人が払った大きな犠牲によって独立することができたのだ」と述べ、ビルマ(現ミャンマー)のタキン・バセイン副首相も「我々はイギリスから賠償金を取って、それを日本に支払うべきだ」と述べている。更にインドネシアのモハメッド・ナチ―ル首相は「アジアの希望は植民地体制の粉砕だった。大東亜戦争は、我々アジア人の戦争を日本が代表したものだ」と語り、シンガポールのゴー・チョクトン首相も「日本軍の緒戦の勝利により、欧米のアジア支配は打破され、アジア人は自分達も西欧人に負けないという自身を持った。日本の敗戦後15年以内に、アジアの植民地は全て解放された」と述べている(541頁)。 日本は中共の「日本弱体化」謀略によって自ら自虐史観を喧伝し、卑屈な土下座外交を続けているが、大東亜戦争の当時をよく知るアジアのリーダーたちや有識者の多くは、日本が失った「名誉」を取り戻すことを望んでいるのだ。そしてその「名誉」とは、日本が「戦勝国」となり、日米が対等なパートナーとなる世界新秩序の中でのみ、取り戻すことができるものなのだ。すなわち共和党政権による日本の大義の「共有」こそが、日本が失った名を取り戻す唯一の道なのである(541頁)。 |
[ 606] 阿多氏、ソフトバンクBB入りを「孫社長の大義に共鳴した」と語る
[引用サイト] http://pc.watch.impress.co.jp/docs/2003/0729/ata.htm
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米HP、ファッションとの融合を提案する大規模な製品発表会を開催〜iPAQ、家庭向けPC、水冷標準装備のVoodoo PCなど シーゲイト、2007年第3四半期以降の製品を発表〜250GB 2.5インチHDDや3.5インチ1TB暗号化HDDなど 笠原一輝のユビキタス情報局ラトックシステム「REX-USBDVI」レビュー〜USBでDVIポートを増設できる外付けアダプタ マイクロソフト前社長の阿多親市氏は、8月25日付けでソフトバンクBBに入社することに関して、「孫正義社長の大義に共鳴した。非力だが、孫社長の会社でがんばりたい」などとコメントした。 これは同日、業界関係者有志160人が参加して行なわれた「阿多親市さんのマイクロソフト卒業を祝う会」で、挨拶にたった阿多氏自らが、突然、ソフトバンクBB入りを明らかにし、そのなかでコメントしたもの。 事務局側も、会が始まる直前までこの事実を知らず、卒業を祝う会が一転して、「入学を祝う会に変わった」(ソフトバンクBB 孫正義社長)という状況。 マイクロソフト元社長の成毛真氏は、「私が退任した時には、孫社長から『うちにこないか』と声がかからなかった」と言い、会場からの笑いを誘った 阿多氏は、「7月以降、多くの方から今後はどうするのかと聞かれてきた。自分自身、なにができるのか、なにがしたいのかを考えてきた。振り返ると、マイクロソフトの社長を務めた3年間は、e-japan計画のもと、日本をIT国家にし、国際競争力をあげるという志のなかでやってきた。今後もこのように大義のある仕事をしたいと考えてきた。そうしたなか、孫社長とお話しをさせていただき、大義に共鳴した。孫社長の会社でがんばりたい」と話した。 一方、孫社長は、「ソフトバンクBBは、史上最悪の決算となりながらも、日本をブロードバンド大国にすることに取り組んできた。だが、さらにそれを加速させるためには、ここでターボエンジンが必要。マイクロソフトの社長を辞めるという話を聞いてから、ぜひ一緒にやりたいと思っていた。阿多氏の加入は、百人力にも千人力にもなる」とお祝いの言葉を送った。 ソフトバンクBB常務取締役就任は8月25日からとなるため、阿多社長は、「8月24日までは、のんびり過ごしたい」としているが、もともと性格的にものんびりするのが嫌いなタイプであることは業界関係者の間では周知の通り。マイクロソフト社長退任からわずか2カ月での復帰は、ある種、阿多氏の性格を反映しているともいえるが、卒業を祝う会に参加した業界関係者の間からは、早いタイミングでの業界復帰を祝福する声が相次いでいた。 |
[ 607] NIKKEI NET BizPlus
[引用サイト] http://bizplus.nikkei.co.jp/genre/eigyo/media/index.cfm?i=e_soumu03
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一つならまだしも、まとめて与えてしまったら、確実に発注は来なくなる。営業マンとしての評価だけではなく、会社の評価も確実に下がることになる。 「悪い大義名分」の事例を10項目挙げてみる。営業先あるいは取引先にこのような印象を与えていないか、日ごろの行動を振り返ってみよう。 忙しいときに限って、ノンアポで来る営業マンがいる。親しい営業マンでなければ、総務担当者は会おうとはしない。だれか他の者を行かせて、「事前に電話でご連絡してから来社してください」と伝言させてすませることになる。 それでもなお、ノンアポで来る営業マンもいる。これを繰り返されると、電話連絡が入っても「しばらくは、忙しくて時間が取れません。電話で良ければお聞きしますが」と言って、会おうとしなくなる。そして最後に「それなら、間に合っています」と、あっさり断られるのがおちである。 確かに、ひんぱんに顔を出すことで、受ける側が根負けする場合も過去にはあった。しかし、リストラが進む現在、間接部門である総務部もそのあおりを受け、縮小化が進んでいる。少数精鋭主義のなか、ひまな時間は無いはず。事前に提案内容を提示するならまだしも、「とにかく会ってから」という態度では、永遠に会えないかもしれない。 アポを取ったもの、時間通りに来社しない営業マンがいる。電話連絡も無しに、平気で30分、あるいは1時間も遅れてくる場合もある。また、常に時間通りに来ない者もいる。「一体何を考えているのか」「忙しいさなかに時間をとってあげたのに、いつもこれではやっていられない」ということになる。中には、10分前から来客のために準備している場合もある。こんなときに遅れると、致命的なことになる。 時間すら守れない人に、仕事を頼むことはない。納期は間に合うのか、故障対応は素早く対応できるのだろうか、発注する前からハラハラドキドキ。こんなハラハラドキドキが常に発生するのなら「最初から頼まなければ良かった」ということになる。一事が万事ではないが、約束の時間に1回遅れたために、すべてが水の泡となる場合もある。 そもそも、時間厳守は最低限のビジネスマナー。これすら守れない「営業マン」に対して、発注をすることはあまりない。 無事に発注をもらえて一安心。ところが、約束した納期に間に合わなくなってしまった。特に、その納品やカットオーバーを基準としてすべての段取りが組まれている場合は、最悪の事態である。 納期はくれぐれも確認すること。納品前後にどのような業務があるのか、十分に確認をしておくこと。単に備蓄品として納品するのなら、多少遅れたとしても問題はない。逆に、納品によりすべてが始まる場合やすべてが完了する場合は、大変な事態が発生する。 物を購入したりサービスを導入する場合、それを買うこと自体は目的ではない。それによってある事態が改善されたり、導入によって何かが可能になるという事実を”買う”のである。従って、納入前後には必ず、それに関する段取りがあるはずである。納期遅れが許されるはずがない。 さらに、納期遅れが発生した場合に社内で責められるのは、当然「営業マン」の窓口である総務担当者である。ここに迷惑をかけてしまったら、次の発注がくる可能性は限りなく低くなる。 場合により、バーター取引を求められたり、お中元やお歳暮の商品の購入要請をされることもあろう。営業先の会社では社内で目標を掲げて、部署間で競争しているケースもある。 そのような場合、例えば「当社ではお歳暮商品の販売をしており、総務部も目標を持って販売キャンペーンをしています。なんとかご協力をお願いできませんでしょうか」と、購入の要請がくる。それに対して、営業マン側の会社が全社を挙げて取り組む場合もあるし、その営業マンの個人購入にとどまる場合もある。 総務部が何かを購入する場合、商品そのものやサービス内容、価格が全く同一であれば、この協力状態を考慮して発注先を決定する場合もある。総務担当者としては判断を下すのに、きっかけ、つまり「大義名分」を探しており、この協力状態は有力な「大義名分」となる。営業マンそれぞれの会社の事情もあろうと思うが、考慮しておく必要がある。 購入し納品された後、故障の修理や追加発注が発生する場合以外、ほとんど顧客のところを訪れない営業マンあるいは会社がある。確かに、いったん納品してしまえば、あまり来社する必要がないものもある。例えば、じゅう器やOA機器だ。じゅう器はいったん納品して設置してしまえば、その物自体に関してフォローする必要はあまりない。しかし、それにまつわるところで、購入先に「接触」することはいくらでもできるはず。耐震対策の検討であるとか、ファイリングの導入、定期的なオフィス環境の検査など、関係するところでフォローは可能だ。 OA機器に関しても、ランニングコストの削減方法や便利な利用方法の紹介など、「接触」する機会はいくらでも作ることができる。確かに、今後あまり受注が見込まれない先へ足しげく通うのは、非効率な営業かもしれない。しかし、営業を受ける側にとってみれば、購入後も何かと面倒を見てくれる「営業マン」は心強いし、再度発注する必要がある場合は、自然とその「営業マン」に頼むこととなる。いずれにせよ、ひんぱんに訪問することで、相手の最新状況が把握でき、適切な提案が可能となるはずである。「接触」できるきっかけがある限り、ひんぱんに通うべきである。 1963年創刊の月刊誌。以来、総務実務を中心に法務、人事、財務・経理とスタッフ業務に関する情報を、豊富な実例をもとに紹介している。総務の現状、いま総務が求めていることなど、総務の問題意識が実務に基づいた形で集約されている。 この連載に関するご意見・ご感想はこちらまで。(メールをいただいた方に個別には回答しかねますのでご了承ください。) |
[ 608] 時空外彷徨 第2号
[引用サイト] http://sinseinen8.at.infoseek.co.jp/room/room0302.htm
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ことは二〇〇一年の五月二十七日、徳島で海野十三につき講演させて頂いたとき、結語の部分で「作家論は思想的な面まで踏み込む必要がある」と言ったのが発端である。 その時はまだ、充分検討していたわけではなかったが、一応、三一書房版『海野十三全集・別巻2』収録の「空襲日記」と「降伏日記」が念頭にあったことは確かだ。 日記のうち、昭和二十年八月六日から十日には、科学者としての原子爆弾に対する判断が述.べられているが、興味深いのは、その後の数日間における、人間・佐野昌一の心の動きであろう。 〈海作班第三準備会にて我家に集合。倉光(俊夫)、間宮(茂輔)、角田(喜久雄)、湊(邦三)、村上(元三)、鹿島(孝二)、摂津(茂和)、小生の八名集まる〉このあとに、湊、間宮、倉光らの意見が記されている。 原爆関係は『あ・の・と』(第2号、平成十三年三月)に述べたので割愛するが、日記にしばしば出てきた杉本中佐の「大義」とか、湊邦三とは、どんな本・どんな人物なのであろうか。 これはハードカバーで一円だったが、十万部を越すベストセラーになったので、十八年三月には同社から新書判の、六十七銭の普及本が出ている。 〈今や宗教に心身放棄の真面目なく、愈々執着を多くし、愈々生死の人たらしめ、生と死と区別して転生を説き、極楽往生に執着せしむ、是れ亡国宗教なり〉と言う。 著者の杉本五郎は、明治三十三(一九〇〇)年五月二十五日、広島県安佐郡三篠(現・広島市三篠町)に生まれた。修道中学、陸軍士官学校を経て、大正十年に広島の第十一連隊付きとなり、陸軍科学研究所でも短期教育を受ける。軍務のかたわら臨済宗仏通寺に参禅し、独自の思想を創る。昭和十二年、歩兵少佐として宇品より中国に出発し、同年九月十四日、山西省において戦死。没後、遺書の形で発表された『大義』が、爆発的な人気を呼んだ。 いま読めば、アナクロニズムを感じる者も多いであろうが、城山三郎の書き下ろし長篇『大義の末』(昭和三十四年一月、五月書房)の登場人物のように、終戦前には『大義』や杉本五郎の言動に感激した日本人は多かったはずである。 海野十三の「降伏日記」八月三十一日のところには、杉本著の『大義』以外に、山岡荘八の『軍神杉本中佐』を読んだことも記されている。 杉本に関しては、戦前には大山澄太の「杉本中佐の尊皇と禅」(昭和十五年)が、戦後は奥野健男の「軍神杉本五郎の誕生」(昭和四十五年)があり、異なった立場からのアプローチがおこなわれた。 私見によれば杉本は、天皇信仰の極北に在ったと思われるし、『大義』も、その線で書かれたことは間違いないが、右翼とか軍国主義というものを超えた、自己完成の思想も感じられるのだ。 杉本の『大義』に関し、『広島県大百科辞典』は、〈思想史上の位置づけは、いまだ十分になされているとは言い難い〉としている。 たしかに、評価未定の部分も少なくないが、彼の遺著『大義』を十三に読ませて自殺を阻止した湊邦三のことを、少し調べておこう。 明治四十五年、錦城中学校(東京)を中退し、以後は独学を続け、『報知新聞』『中国新聞』『大阪毎日新聞』等の記者を経て、森永製菓や松阪屋の宣伝部員等を勤める。 大正十五年、『大衆文芸』に「花骨牌」を発表して注目され、以後、多くの時代小説や伝記を書く。昭和七年に編集した『早速整爾(はやみ・せいじ)伝』の主人公は、旧姓は中山。明治元年十月二日、広島市に生まれ、博文館勤務後に政界入りした。農相・蔵相・衆議院議長等を歴任し、大正十五年九月三日に死亡した実在の人物で、このあたりから伝記作家としての地位を固めた。 昭和十三年には南支へ従軍し、十六年からは海軍報道班員として従軍している。海野十三と知己の仲になったのは、これ以後であろうか。 昭和十八年作の『帆影千里』(洋山堂書店)は、青少年向けの、倒幕を背景にした時代小説。慶応元年に近いころの瀬戸内海、安芸の宮島を舞台にしたものである。 さて、終戦当時の邦三は、海野とはかなりの親交があったらしく、彼の自殺決行を察知すると、「これからは、あなたのような心の真っ直ぐな人が必要なのだ」と言って、自殺を阻止したのだった。 戦後、邦三は『夕刊ひろしま』に『法螺法眼』という、大長編時代小説を連載した。広島が生んだ眼科学の泰斗・土生玄碩(はぶ・げんせき)を主人公にしたもので、これが連載されたのは、海野十三の死亡(昭和二十四年五月十七日)前後のことだ。邦三は一時、健康上の理由から広島に戻っており、主たる執筆活動の場は東京だとしても、広島の出版界との接触は続いていたのである。 したがって、海野十三が広島図書(株)の児童教育雑誌『ぎんのすず』に小説を書いた背景には、邦三が仲介した可能性もあるだろう。 他方、戦後の邦三は、創価学会の戸田城聖(第二代会長)と知り合い、『聖教新聞』の編集にもタッチし、のちには主筆となる。 ちなみに、戸田会長の経営する日本正学館が児童雑誌の発行に乗り出すのは、昭和二十四年であり、池田大作(のちのSGI会長)は、この年の『冒険少年』七月号から編集長になっている。 邦三のほうは、二十九年から十八年間にわたって『日蓮大聖人』全十五巻を刊行し、昭和五十一年十二月十二日死去した。 これは戦後、中国新聞社が別会社を作り、昭和二十一年六月一日に創刊した夕刊紙で、二十七年十月一日から『中国新聞』の夕刊となった。 畑耕一や細田民樹のような地元関係者に執筆させるかたわら、渡辺啓助の『吸血劇場』を連載するなど、ユニークな味を出している。 |
[ 609] Amazon.co.jp: 異端の大義 (下): 本: 楡 周平
[引用サイト] http://www.amazon.co.jp/c?°c≪ ̄a?Ra?§c?c-a,?-a\!-a?¨a13/dp/4620106992
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