春分とは?
[ 581] 春分と秋分の日付
[引用サイト] http://koyomi.vis.ne.jp/syunbun.htm
|
春分日・秋分日自体は天文学的な言葉ですが、この日付を元にして「春分の日・秋分の日」が決定されますし、春と秋の彼岸のように生活に密着した行事と関係しておりますので、1851-2150年までの間の計算が行えるようにしてみました。 祝日としての春分の日・秋分の日と春分日・秋分日の関係や、ないようについての正確な理解のため末尾に掲載しました解説記事を併せてお読みくださるよう、お願いいたします。 左は、将来の春分日・秋分日の計算フォームです。「西暦」欄に西暦年数(四桁:例 2001)を入れ、計算ボタンをクリックしてください。ひとまづ1851年〜2150年までは計算できます。この範囲外の年数を入れた場合は、「圏外」と表示されます。 計算は、JavaScriptによって行っています。使用した式は「新こよみの便利帳」(恒星社厚生閣刊)という本に紹介されたものです。 春分点は、厳密に言えば毎年移動するのですがその移動量は小さいため、〜20年くらいの短い期間では移動しない点と考えてもあまり問題になりません。春分点の移動を無視すると、太陽は1公転周期ごとにこの点を通過しますから、毎年同じ日に春分日がきても不思議ではありません。ただ実際には残念ながら1公転周期は、約365.2422日と半端な日数ですのでこの端数の分が影響して同じ日付にはなりません。ただ、4年に1度の閏年は元々この半端な日数を整数で近似するために設けたものですから、4年ごとにはほぼ同じパターンが繰り返されます。左の表でも、4年ごとのパターンが見えますね。 祝日としての春分の日(秋分の日も同様)は、国立天文台が作成する暦象年表という小冊子に基づき、閣議で決定され、これが官報によって公報されることによって正式に決まります。官報に載る時期は2月の最初。ここに翌年の春分の日・秋分の日が記載されます。 先々の予定をくむため、「3年後の春分の日を教えてくれ」と天文台に問い合わせても、今説明したような回答が得られるはずです。 このように祝日としての春分の日・秋分の日は人為的に決定される(閣議決定)ものですから、計算で求めるというわけにはいきませんので、これから先はあくまでも、天文学的な春分日・秋分日について話を進めることにします。 この日が「たぶん祝日」になると思いますが、時の大臣の方々が気まぐれを起こしたとしても私のせいではありませんので、祝日にならなくても許してください。 春分日(秋分日も同様)とは、天文学で「春分点」と呼ばれる点を太陽が通過する日のことで、だいたいは3月21日あたりになります。 ちなみに、「春分日とは太陽が春分点を通過した日」となっていますが、この「日」とは、0時から翌日の0時までの期間です。四捨五入などしません。 春分日は先に書いたように3月21日あたりにありますが、20日になることもあります。なぜこう言うことが起こるのか、もっと詳しく知りたい方は将来の春分日・秋分日の計算をお読みください。 春分の日・秋分の日を中日として前3日・後3日の計7日間をそれぞれ、「彼岸」「秋彼岸」と言います。詳しくは、彼岸の話をお読みください。 |
[ 582] 将来の春分日・秋分日の計算(No.0330)
[引用サイト] http://koyomi.vis.ne.jp/reki_doc/doc_0330.htm
|
こんなHPを作っている私は、「春分の日(秋分の日)が変わる」なんて当たり前だと思っていたのですが、言われてみれば不思議な現象かもしれません。と言うことで、今回は春分の日(と秋分の日)が変わる理由を簡単に説明してみましょう(ついでに、将来の日付の計算方法も紹介します)。 なお、これ以後は「春分と秋分」と並記するのが大変なので特に断らない限り「春分」と書いた場合春分と秋分の双方を指していると思ってください。 現在の日本の祝日のうちで春分と秋分の日の2つは、実際の天体の運行と関係する祝日です。天文学的に「春分日」と言われる日が原則として春分の日となります(ただし、絶対ではありません。祝日の定義については祝祭日一覧をお読みください)。今後はこの計算可能な天文学的な「春分日」についての説明になりますので、そのつもりでお読みください。 春分の日は原則として太陽が春分点(天の赤道と黄道が交差する点。180度反対側には秋分点があります)を通過した瞬間を含んだ日です。太陽が春分点を通過してから再び春分点まで戻る期間が普通に言われる「1年」です。 カレンダーの上では普通1年(平年)は365日として数えますから、太陽が春分点を通過する瞬間は1年経つ毎に前述の端数、0.2421904(約5時間49分)だけ遅れます。 これが続くと4年ごとに約1日春分の日が変わることになりますが、現在の暦では4年ごとに閏年として1年366日の年が入ります。もともとこの閏年は、春分の日が4年に1日ずつ移動してしまうことを防ぐ目的で設けられたものですから、この閏年が入るとそれまでずれた分が大体リセットされるのです。 春分点・秋分点通過月日の移動 ここで示した図は、春分点を通過する時刻がどのくらいの割合でずれるかを視覚的にあらわしてみたものです。上の段は春分の日、下の段は秋分の日です。図は西暦2000年からの4年間の移動を示しました。図中のアルファベットは となります。円の中心位置が3/20にあるか3/21日に有るかで春分の日がどちらの日付になるかが決まります(秋分の日にあっては、9/22か9/23日)。 この図は2000年から2003年の4年の移動ですが、2004年は閏年ですのでずれがリセットされて、最初のA(a)の位置に戻ります。 閏年による「リセット」が完全にうまくゆけば、このように4年ごとに同じパターンがくり返されることになり、春分の日は3/20か21日、秋分の日は9/23日(そのうち9/22の秋分の日も出てきます)となりそうです。これがわかれば、何か簡単な式で、将来の春分日・秋分日が計算できそうに思えませんか? ということで、例として2000年からの春分日・秋分日を求める式を考えてみましょう。例として、2010年の春分日を計算してみましょう。 この日付は9/23.10260日となるのですが、実はこうすると少々困った問題が起こるので、ここでは何も言わず、9/23.09日と0.01日ばかり調整した値を使ってください。あとは春分日の計算例に同じ。 さて、この計算でどれくらい先まで計算できるかというと、とても残念ですがたった100年分しか計算できません(2000-2099年まで計算可能)。「みじかい!」とお怒りの方もいらっしゃるかもしれませんが、読み物としては、このくらいの期間の計算で目的は達成できたのじゃないかなと思います。 それより先の値が必要な方は、もう一ひねり必要です。今回は説明を見送りますが、閏年の入れ方を考えれば、「一ひねり」はさほど難しくは有りませんので、チャレンジしてみてください。 秋分点から次の秋分点までの期間は実は一定ではありません(おっと、この長さが一定しないというのは春分点に関しても事情は同じです)。平均すれば「1年の長さ」になるのですが、その前後で変動しています。この変動の量はざっと10分程度。2000年からの 100年間には 2回、秋分点通過時刻が日本の日付変更時刻ぎりぎりに来る年があり、このため「小細工」しないとここで紹介した簡易計算がうまくいかないことがあります。そのため、この10程度の変動を吸収してしまうため、最初の定数に細工をしたわけです。何分実験式ですから。 キリスト教において、「春分の日」は復活祭(イースター)を計算する起点となるため大変重要なのですが、キリスト教における春分の日は、3月21日と決められております。 実は現在の暦として広く使われているグレゴリウス暦は春分日が3月21日からあまり外れないように考えられた暦なのです。その恩恵で、今回説明したような簡単な計算で将来の春分の日の日付が計算できるようになったのでした。私としては大助かり。 |
[ 583] 春分の日、お彼岸
[引用サイト] http://homepage2.nifty.com/calendar/3gatu/shunbun.html
|
太陽の中心が春分点(天球上の赤道を太陽が南から北へ横切る瞬間の交点)に達し、全地球上の昼と夜の長さがほぼ等しくなる。 この日を境にして夏至まで昼間が徐々に長くなり、夜が短くなっていく。日本で昼夜がほとんど等しくなるのは、春分より3日前である。 昭和23年に「国民の祝日に関する法律」により、春分の日は「自然をたたえ、生物をいつくしむ日」と制定された。 旧暦2月の中気で、お彼岸の中日でもある。真西に日が沈むこの日、真西に沈む太陽は極楽の東門に入ると伝えられていることから、この日の太陽を拝むと、浄上の東門を拝むことになり、極楽浄土は十万億土を隔てたところにあるといわれ、この極楽が最も近くなる日が彼岸の中日と考えられている。この日に故人の霊を供養すると、迷わず極楽浄土に成仏できるといわれており、死者の冥福を祈り、仏供養、おはぎ(ぼたもち)、草餅、五目ずし、稲荷ずしなどを作ってお墓参りをする。 春分、秋分の日をはさむ前後七日間を彼岸と言いう。 初日は彼岸の入り、中心の日は中日、最後の日を彼岸明けといって、合わせてこの七日間は、各寺院、家庭で彼岸会の法要が行なわれる。「春分の日」は「自然をたたえ生物をいつくしむため」に、また「秋分の日」は「祖先を尊び、亡くなった人をしのぶため」に、国で祝日に定めているように、彼岸は、あの世(彼岸)の死者の安らかな成仏を願うという意味にあてられている。 仏教では、生死の苦しみに迷う現世を此岸(しがん)と言い、悟った捏磐(ねはん)の境地を彼岸(ひがん)と言う。この彼岸が、なぜ春分、秋分の日と結びついたかというと、浄土三味経に八王日(立春春分、立夏夏至、立秋秋分、立冬冬至に善行を修すべし)の思想があり、また春分と秋分が、昼夜等分で長短のない中道の時で、仏道もまた中道を尊ぶところから、この時に仏事を行なうという考え方が生まれたと言われている。 彼岸の習俗としては、寺参りや墓参りをして亡き人を供養し、家庭では仏壇を清めて精進料理やぼたもちを供え、親類知人に配るなどが一般的である。しかし地方によっては特殊な習慣を残しているところもあり、兵庫県の一部では、落日を拝むと吉として、彼岸中日に、午前は「目迎え」といって東に、午後は「目送り」といって西へ向かって山野を歩くならわしがあり、熊本の阿蘇山麓では「彼岸ごもり」といって、春秋に登山する風習がある。これなどは、自然と一体感を持とうとする仏教が、はっきりとした影響をとどめている例といえるだろう。また岩手県の一部では、死人の思うことを巫女の口を借りていわせる「口寄せ」などの例もある。 彼岸に、仏前にささげる料理は精進料理です。仏教では殺生禁断の思想があって、生き物を殺したあとの肉は食べてはいけないことになっていることから、野菜、乾物類を中心とする献立を立て、だしも、しいたけなどの精進だしを使う。これは秋の彼岸、法事、孟蘭盆合のときも同様である。客寄せをしたときもこの原則は変わないが、あまり淡泊にすぎないようこくのある味つけを工夫しましょう。季節の旬の野菜をじょうずにとり合わせ、ごま、ゆば、ひりようずなどの植物性蛋白のものを多く使う。 そのほか、なじみの深いものに、ぼたもちがある。春はぼたもち、秋はおはぎといって、名を区別するのはその季節の花の名前をかけたものと思われるが、もともとは神仏に供えた、ただのもちであった。これが携帯食として重宝がられ、塩あずきあん、砂糖あずきあんを中にくるんだり、表にまぶしたりして食されてきた。最初は農家の間食用のそまつなものだったのが、しだいに形も小さく、味つけも上品になって、今日に至っている。死出の旅をしている亡き人の「持ち飯」の意味もあるのかもしれない。 いなりずしも精神料理の一つで、あぶら揚げをしょうゆと砂糖で煮つけて、これにごはんを詰める。生ぐさいものは使わないから、ご飯に具をまぜるにしても、にんじん、いんげん、しいたけなどの野菜類に限る。 家庭では仏壇を掃除し、新しい水と花を供え、僧侶に来ていただいて読経をする。伝次郎家では、墓の掃除を彼岸の入りまでに済ませておくのですが、ふだんは忙しくてなかなか墓所に行けない方も、この機会にぜひ参りたいものです。 一般には、墓参りをしたなら、まず墓石を掃除し、手桶の水をかけ、たわしでこすり、墓所内の雑草や古い卒塔婆はその場で燃やすか、管理所に始末を頼みます。新しい卒塔婆を立てたら、線香を束のまま火をつけて供え、故人と緑の深い順番に、さらに手桶の水を墓石にまんべんなくかけます。 死んだ人とは無縁とばかりに墓所を荒れほうだい、または管理所にまかせっばなしというのでは、生きている人間の、せわしない雑な生活感覚をあらわしているようで好ましいものではありません。 集合式の納骨堂におさめてある場合も、お参りができますから、線香、花などをあげて読経し、また管理所へのお礼も忘れないようにします。また墓所、寺、管理所などに名刺受けがあるときはこれを確認し、家に持ち帰ってお礼の手紙を出しておくと良いでしょう。 。 |
[ 584] 春分の日
[引用サイト] http://www7.plala.or.jp/naobou001/gyouji/haru.html
|
春分の日を中心に前後三日間、計七日間のことを指します。初日を「彼岸の入り」、中の日を「彼岸の中日」、最終日を「彼岸明け」と呼びます。「お中日」と呼ばれる春分の日はともに昼夜の長さが同じ日で、太陽が真東から昇り、真西に沈みます。 明治初期に春分の日が「春季皇霊祭」という国家の祭日になりました。 第二次大戦後に国民の祝日となり、春分の日は「生物をたたえ、自然をいつくしむ日」とされています。 仏教では、たとえとして、大きな川をはさんで向こう岸(彼岸)に仏の世界があり、私たち凡夫はこちらの岸(此岸) そして、迷いの岸 (此岸)から、悟りの彼岸に到る(到彼岸)のが、仏教の目的であり、「彼岸」の意味なのです。 こしあんがおはぎで、粒あんがぼたもち? 米粒が残っているのがおはぎで、完全に餅になっているのがぼたもち?大きいのがぼたもちで、小さいのがおはぎ?全てひっくるめて、高級なのがおはぎ? 実は、おはぎとぼたもちは基本的に同じもので、違うのは食べる時期だけなのです。では、ぼたもちとおはぎをこう書くとどうでしょう?「牡丹餅」「お萩」。ピンときた方もいらっしゃるかもしれません。 ぼたもちは、牡丹の季節、春のお彼岸に食べるものの事で、あずきの粒をその季節に咲く牡丹に見立てたものなのです。一方、おはぎは、萩の季節、秋のお彼岸に食べるものの事で、あずきの粒をその季節に咲く萩にに見立てたものなのです。 では、何故牡丹の方にだけ餅が付いたのでしょうか?その由来は、「倭漢三才図会」に「牡丹餅および萩の花は形、色をもってこれを名づく」とあり、牡丹餅がぼたもちになり、萩を丁寧に言っておはぎになったというのが、最も一般的な説です。 よって、春はぼたもち、秋はおはぎと春秋使い分けないといけないのですが、今は年中おはぎで通すお店が圧倒的に多いようです。 しかしなぜお彼岸におはぎをいただくようになったのでしょうか?これは江戸時代にさかのぼります。この時代に、お彼岸や四十九日の忌明けに食べる風習が定着したようです。 あずきの赤色には、災難が身に降りかからないようにするおまじないの効果があると信じられていて、古くから邪気を払う食べ物としての信仰が、先祖の供養と結びついたと言われています。 また仏教では、彼岸は、彼の岸として悟りの境地を言い、苦しみに満ちている此岸と対になる言葉として使われています。そこで彼岸中は仏道修行に励む訳ですが、日本では祖霊崇拝の慣習を合わさり、ぼたもちやおはぎを捧げ、先祖を慰め、自分自身の功徳を積んでいました。だから本当は、自分たちで食べるものではなかったんですね。 「暑さも寒さも彼岸まで」と言われるように、春の彼岸は農作業が始まる時期で、秋の彼岸は収穫の時期にあたります。よって、春には収穫をもたらす山の神などを迎えるためぼたもちを、秋には収穫を感謝しておはぎを作ったとも言われています。 ●小豆は2時間くらい水に浸す。小豆の上に3cm以上の水があることを確認して火にかける。沸騰したらお湯を捨てる。新しい水を小豆の2cm上位まで入れて蓋をして火にかけ沸騰したら水を少々加えるを2〜3回繰り返して40分位柔らかくなるまで茹でる。茹で上がりは湯がなくなってちょうどご飯が炊けた時の状態になってるのが理想。蓋をしたまま15分位蒸らす。 砂糖の半量を入れて火をつける。かき混ぜてしばらくしたら残り半量を入れる。木ベラでかき混ぜながら弱火で気長に底にヘラを入れながら煮て水分を飛ばす。練り味噌状態の固さになったら塩少量を加える。塩は足りないと間が抜けてるし、入れすぎれば野暮ったい味になる。暫く煉ったら火を止める。塩を入れると一気に焦げ付きやすくなるので気をつける。<焦げ臭い小豆は一寸食べられない> 水に砂糖を入れて煮溶かしておく。擂った枝豆に砂糖水を少しづつ加えてすり混ぜる。塩少量入れる。 今年の中秋の名月は十月一日<旧暦8月15日>になります。芋名月とも云われ芋や芋の形をしたお団子を供えます。一方、旧暦の9月13日の十三夜は今年は十月二十九日にあたり、豆名月と云われて枝豆や栗を供えます。白玉粉でお団子を作ってずんだ餡をかけた月見団子を供えて月を愛でる----風流じゃありませんか。 餅を握る。それぞれの餡をまぶす。アズキ餡は熱い内に<かけるように>つけると仕上がりが綺麗。餅の中に餡を入れる時は餡が冷めて固まってからあらかじめ丸く団子にしておいて餅で包み、きな粉をまぶす。 |