発祥とは?
[ 633] 俺のターン - 「マジ」の由来、発祥、定着について
[引用サイト] http://d.hatena.ne.jp/kurimax/20070211/1171177506
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映画『バブルへGO!』で 17 年前の 1990 年にタイムスリップした広末涼子が 17 年前の大蔵省の人に「マジで?」と言ったので、「マジって 17 年前あったっけ?」と一瞬思ったんだけど劇中では会話は成立していた。 当時国語の先生が「最近は『超○○』、『マジ?』ってのが流行ってるな」って言って、生徒側は「それはとっくに定着してるよ」という雰囲気で笑って受け止めてたのを覚えてる。ただ大蔵省の人までは定着してなかっただろうけど。 でも発祥年次とかよくわからなかったので早速 Wikipedia にあたったけどなぜか「マジ」はなかった。 次に「どうせ当時の若者言葉なんて全部とんねるずが作ったんだから」と、とんねるずの項目を見たけど答えがない。そこで質問してみた。 立原あゆみの漫画「本気!」からです。作者が自分で単行本の表紙見返しに書いていました。(NASTYさん) 1982年リリース近藤真彦さんの「ハイティーンブギ」の歌詞にも♪一瞬マジにお前を抱いた・・・♪と歌われ、またこの頃、本気と書いて“マジ”と読ませたりしていましたよね。 江戸時代発祥のようだけどそこまで遡るのはやめにして、マッチ辺りから広く使われ始めた説を採ります。 江戸時代から使われてはいたが、1982年に近藤真彦の「ハイティーン・ブギ」の作詞家松本隆、シブがき隊の薬丸裕英らによって徐々に広められ、1987年に週刊少年チャンピオンの『本気(まじ!)』を経て、1987年頃から若者向けバラエティで人気を博したとんねるず石橋貴明の手によって定着した。 「超○○」はとんねるずかな? どっちにしろあの時代ならとんねるずは使ってただろうけどちょっと違う気がするので削除。どちらにしろバブルを象徴する言葉だけど。 一時期ねるとんに出てくる女の子はみんな「っていうかぁー」「〜みたいな」って話してたもんだっけ。これはコントでよく女装してたとんねるずの二人が、女子の口癖を表現する時に使ってた。 蛇足だけどこれは 2003 年から始まった『切込隊長ブログ』でよく見かける「というか、」「なんつうか、」という口調に見られるように様々なパターンが広まり、口語、文語、ネット語(笑)で男女問わず普及しており、現在もブログ界のあちこちで段落の始めに「というか」という言葉を見かけるようになっている。 Quadrifogrio 『はじめまして、とんねるずと言えばその基本は内輪ネタ楽屋オチがベースにあるわけですが、その当時の業界で流行ってた”ゲロ○○”をやたら使ってました。ちょうどバブル絶頂時だったと思います。自分達だけで流行ってる言葉やポーズをやたらアピールしてましたね、”キャローン”ポーズなんて知ってる人いるんでしょうか?長文失礼いたしました』 neumochitaro 『はじめまして。「マジ」ですが私は70年代半ばにおそらく当時集英社から発行されていた萩本欽一・編『欽ドン』の本の中でだったと思うのですが放送業界の業界用語のひとつとして紹介されていたのを読んでその時初めて「マジ」という言葉とその意味(「本当」という意)を知りました。欽ちゃんがその当時放送上でその言葉を使っていたのかどうかはちょっと記憶にはありませんが(テレビでは使っていなくても子飼いの放送作家連中とわいわいやっていたラジオ版『欽ドン』では使っていたかも)その時点ではまだ一般的にはほとんど知られていなかった言葉であることは間違いないです。ただとんねるずの「マジ」の場合は「業界用語の流用」とはまたちょっと違って元々彼らのツッパリ系のコントの中で「マジかよ!青いぜ!」などというようにツッパリ用語のひとつとして使われていた言葉なんですよね。なので彼らの高校時代=’70年代〜あるいはそれ以前から東京〜あるいは帝京高校周辺の不良・ツッパリの間ではフツーに流通していた言葉であった可能性が高いです。で、それがとんねるずの手によって一般化されたと(そういえば竹中直人もどんな役柄だったのかは忘れたけど’80年代にコントの中で「まっじぇ(マジ)?、まっじぇ(マジ)?」と言っていたハズ)。今では同じようにフツーに流通している「セコイ」なんていう言葉も元々は「マジ」同様「江戸弁」のひとつで長いこと死語と化していた言葉だったんですけど’70年代に突如復活していつの間にか全国区となってしまった言葉なんですよね。こちらも何かそのきっかけとなった事象があるのかも知れませんがちょっと今検索してみたけれども分かりませんでした。近藤真彦の『ハイティーン・ブギ』は「セコイ」とは逆に’70年代中頃までは東京では生きていた「えばる」(「威張る」の意)という言葉を日常会話でいまだに使っている「松本隆先生」の作詞ですから東京ローカルな言葉が歌詞に混じっていてもそれほど不思議ではないし松本隆と同じく「東京都港区出身」の薬丸裕英が「マジ」という言葉を当たり前のように使うのもそれほど不思議ではないと思われ…(まあ『ハイティーン・ブギ』原作及び映画の中に「マジ」が出てくるのかどうかは確認してはおりませんが)。というわけで「コメント欄に長文」本当に失礼致しました。以後慎みます…。』 kurimax 『Quadrifogrioさん、ども。「ゲロ○○」、周りで使ってた人がいた記憶にありますが、さすがにあまり普及しなかった気がします。』 kurimax 『neumochitaroさん、ども。いえいえ長文歓迎です。いろいろ参考になりました、ありがとうございます。』 一見さん 『本気!が連載され始めた頃普通に「マジ」と読んでいたし、既にありふれていた言葉だったはずです。』 『先にも出てますが、「マジ」は元々江戸弁で、今では落語家の符丁として使われます。落語家の符丁ということは、演芸の世界では共通の符丁なので、お笑い芸人などは好んで使います。誰の手によって一般に広められたかは解りませんが、少なくともビートたけしは日常的に使っていましたので、「とんねるずが広めた」というのは誤りです。以下に有名な一節を引用します。「こんなげーむにまじになっちゃってどうするの」(ファミコンソフト『たけしの挑戦状』より 1986年発売)』 『ウチの田舎だとダンプ松本の出てたカップラーメンかなんかのCMの「マジだぜ!」からだなぁ・・・それ以前は誰一人使ってなかったし、「真剣」と書いてマジと読むのも知らないのが当たり前だったし…』 |
[ 634] 日本スキー発祥記念館
[引用サイト] http://www.city.joetsu.niigata.jp/sisetu/ski/
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明治44年(1911年)1月12日、オーストリアの軍人レルヒ少佐が、ここ上越市において日本で初めてスキーの指導を行いました。これが日本のスキーの始まりです。 レルヒ少佐はわが国の軍事視察を目的として来日し、1年余りを高田で過ごしました。この間、陸軍第13師団の長岡外史師団長ら良き理解者に恵まれ、スキーの指導にも熱心に力を注ぎました。 今日のスポーツ・レジャーとしてのスキーの隆盛を見るとき、レルヒ少佐を始め当時情熱的にスキーの普及に努めた人々の先見性は、大いに称えられるべきでしょう。 この記念館はスキー発祥80周年を記念して建設され、平成4年4月にオープンしました。さらに、長野オリンピック冬季競技大会の開催に向け、日本のスキー発祥の地「上越市」を全国にアピールするため、増築工事を行い、併せて展示内容の充実を図り、平成9年2月に新装オープンしました。 当記念館は、スキーが伝わった当時の貴重な資料やレルヒ少佐の遺品などを展示し、上越はもとより、県外からも多くの皆さんが訪れています。また、全国からスキー用具や関係資料を寄贈いただき、レルヒ愛用の品もご遺族のご厚意により多数寄贈いただくなど、収蔵品の充実も図られました。 当記念館では豊富な資料をテーマごとに紹介しています。それでは館内をご案内しましょう。 最初のコーナー「ウェルカムゾーン」では、等身大のレルヒ像が皆さんを出迎え、スキーの発祥当時に誘います。「歴史ゾーン」では、実物のスキー用具や文献からスキーの変遷がわかります。 「記念ゾーン」には、オーストリアからスキーを伝えたレルヒ少佐を偲んで、実際使用していた机、いすなどや自筆の水彩画を展示しています。またレルヒ少佐とゆかりがあり、上越市と姉妹都市であるリリエンフェルト市や、日本でのスキー普及に貢献した長岡外史をはじめとする関連資料も展示しています。 そして、「交流ゾーン」では、昔懐かしい金谷山の様子を写真で振り返ります。また、スキーの擬似滑走体験ができるスキーシミュレーターを導入しました。スキーの楽しさを気軽に味わってください。 ウィンタースポーツの代表といえるスキー。日本のスキー発祥からの歴史を刻み続ける日本スキー発祥記念館の使命はこれからもますます大きくなることでしょう。 |
[ 635] 元祖とか発祥といわれるお店
[引用サイト] http://www3.ocn.ne.jp/~gourmet/ganso.htm
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元祖「白熊」のお店。「白熊」とはフルーツや豆をたっぷりのせたミルク練乳がけのかき氷のこと。鹿児島の夏の風物詩である。真冬でもこの白熊を食べに来ている観光客をよくみかける。 鹿児島の伝統銘菓。最近はねこのペットフードの名前と同じなのでたまに混同されることがある。「かるかん」は鹿児島の至るお菓子屋で製造されているが,この「明石屋」と「江戸屋」が老舗である。明石の菓子職人が軽羹を創製したといわれている。材料は,米の粉と自然薯で,せいろで蒸し上げる。中にあんが入ったかるかんも人気。鹿児島市内に支店多数あり。 鹿児島でも最古。ガイドブックには必ずといっていいほど掲載されている。観光客とぼしきガイドブックを持った人が食べに来ている。ラーメンが1000円というのは高いような気がする。この店のラーメンについては,すききらいが分かれることが多い。 回転式そうめん流し発祥の地。年間約30万人が訪れる。水の郷百選の冷たくきれいな湧き水を利用して一年中食べられる。夏は,昼に行くと行列ができている。寒い冬にもお客がいるのはものすごい。そうめん・おにぎり・鯉のあらい・マスの塩焼きのA定食が1500円。 「チキン南蛮」発祥の店。こってりしているイメージの「チキン南蛮」だが,ここのものはあっさりと食べられる。さすが元祖の店というところである。「チキン南蛮」以外に「ビーフ南蛮」など洋食メニューがある(以前は牛天丼など珍しいメニューがあったが消えてなくなっていた)。宮崎市内外に系列店がいくつかある。直営店としては瀬頭店が駐車場もあり行きやすいだろう。 「レタス巻き」発祥の店。店主が歌手の平尾昌明のために考案したという。市街地から多少はずれているが,宮崎では有名店である。具が大きくて食べ応えがあるかも。かに汁も名物らしい。 元祖の「とり天」が味わえる店。今では,大分では一般家庭にも浸透している「とり天」を最初に考案した主人の店。市街地から離れており場所がわかりにくいので注意。 ラーメン博物館に出店している。鹿児島のこむらさきとは全く別である。元祖と名乗っているが熊本ラーメンの特徴であるにんにくチップを最初に入れた店。 長崎ちゃんぽんの発祥の店。グラバー園などの観光名所に立地している。長崎への修学旅行生や観光客に大人気。 1937年九州の豚骨ラーメンはこの屋台からはじまったという。今は屋台は3代目の若いご主人が切り盛りしている。豚骨は鹿児島産を使用している。スープは茶色味を帯びている。現在の主流の久留米ラーメンとはひと味違うようだ。地方発送可。 南京千両の初代の長女さんとその娘さんのお店。屋台ではなくどちらかというと洋風の作りのお店。飲屋街から少し離れている。屋台の元祖南京千両は,弟さんのお店とのこと。ラーメンの味は屋台とは多少違っていた。自分にとってはマリン店の方が食べやすい味であった。 長浜屋台街に位置するが,店舗になっていて昼も営業している。メニューはラーメンのみなので注文をわざわぜせずとも店に入ればすぐにラーメンが出てくる。 創業明治38年,水炊きの元祖の店。地方発送可。スープは澄んだコンソメ風。さつま地鶏(雄)を使用。スープは塩をいれてそのまま飲む。 福岡でも大きな中華料理店。1階が喫茶。2階がレストラン。3階が宴会場となっている。皿うどんの発祥の店となっている。 九州風「一口餃子」の元祖。昭和22年,中国から引き揚げてきた先代が作り上げたモンゴル風一口餃子。ここで修行した人が九州に散らばっているらしい。 10個500円。繁華街中洲にある。 焼うどん発祥の店。終戦直後焼そば用のそば玉がなかったため,干しうどんを代用しはじめたのが始まりといわれている。人気は焼うどんの上に目玉焼きをのせた「天まど」490円。干しうどん独特のコシを残したほどよい焼き具合が魅力。 元祖たいめしという看板を掲げている。北条市でも鯛めいで有名な店で老舗らしい。北条市沖の鹿島にも支店がある。評判の「鯛めし」は鯛のほぐした身を炊き込んだもので,鯛以外の具も入っていないし,しょうゆでの味付けもしていない。素朴だが逆にそれがよい。シンプルイズベストという言葉が当てはまる。鯛めしの定食(刺身・貝汁・小鉢つき)が1800円。 今治風鉄板で焼くヤキトリの考案者・ヤキトリ料飲組合組合長の店。皮焼250円。せんざんき360円。 今や丸亀名物にもなっている「骨付鳥」はこのお店の登録商標である。「骨付鳥」とは骨がついたままのもも肉をグリルした料理。ニンニクとコショウを効かせたスパイシーな味わいである。宮崎・鹿児島の地鶏炭火焼きと煮ているが,スパイスとタレによる味付けが異なる。おやどり930円。ひなどり780円である。地方発送もしている(0120-369907)。丸亀市内に数店舗有り,ファミリーレストランのような大きな店舗もある。 おそらく今一番人気のあるうどん屋ではないだろうか。地元の人にもすすめられたがその行列ぶりはすごかった。休日の12:00すぎに行ったが(おそらくピーク時だろう),人と車の列ができていた。お店専属の車誘導員も配置され,お店の駐車場だけに入りきれず横にある小学校の道路に路駐した。結局1時間まちだった。常に行列ができる店らしい。場所も周囲に観光スポットもないだけにわざわざ食べに行かねばならない。ここのお店は「釜たま(釜揚げ玉子)」が有名で発祥といわれている。メニューは,「かけ」「つゆ」「釜揚げ」「釜たま」の4種類で「かけ」「つゆ」は「冷やし」と「熱いの」を選べる。釜たまは小(1玉)140円。かけ小90円。うわさの「釜たま」だが,つやつやの麺に半熟卵が絡んでいた。ほどよいコシとつるつる感である。さすが行列ができるだけある。綾上のきれいな水がこのうどんを支えているとのことである。 元祖しょうゆうどんのお店。行く途中大きな看板をいくつも見かけた。しょうゆうどんは400円。太くてコシのある麺にしょうゆをたらして食べる。大根と下ろし金が運ばれてくるが大根が大きい。思いっきりすりおろしてたっぷり大根をかけた。そのせいか,大根丼400円,大根アイス300円などのメニューもある。持ち帰りのうどんもたくさん販売していた。午後2時すぎに行ったが20分ほどまたされた。 徳島県内に多くの支店がある。徳島市内でそばといえばここの名前があがるほどで,「橋本」といえばそばの代名詞のようになっているという。このお店独特のそばである「生そば」が名物。これは,そばにあたたかいつゆをかけて食べるもの。なぜか器が2つで1人前である。その他「そば米雑炊」もメニューにある。本店は東新町のアーケード街にある。 川棚温泉名物瓦そばの本家。熱々の瓦にのせて出されるそば(茶そば)は,明治の西南の役で薩摩の兵隊が肉やそばを焼いて食べたという古老の話をヒントに作られたという。茶そばの上に牛肉・錦糸卵・のり・もみじおろしとレモンが盛られる。茶そばが少しこげるのが香ばしい。自家製のたれにつける。最近では山口名物となっており,県外でも瓦そばを出してくれる店もたまに見かけたりする。 昭和8年に会津出身の遠藤留吉さんが始めた「ラジューム焼」が大阪たこ焼のルーツだという。昭和10年にタコを入れたたこ焼が生まれたという。醤油味のたこ焼はシンプルである。 自分で焼くたこ焼きやの元祖。ソースはごまじょうゆ・たこつゆなどから選べる。具は牛肉・エビ・パイン・チーズなど変わり種も用意されている。 明治26年創業。元祖きつねうどんの店。先代が揚げと魚のすり身の天ぷらを素うどんに添えたのが始まりという。揚げを出したのは商売繁盛のお稲荷さんに由来する。しかし,客の多くがうどんに揚げをのせるのを見て,最初からのせて出すようにしたという。 大阪風のお好み焼の焼き方を確立したお店。その意味でこの店が大阪のお好み焼きの元祖といわれている。る。ぼてっと鉄板に流し,ぢゅーと焼くので「ぼてぢゅー」としたらしい。創業当時からアメリカ製のマヨネーズを塗っていたという。今では,この店の名前がお好み焼の代名詞みたいになっており,類似の店名を掲げるお好み焼店も全国に多い。本店は宗右衛門町にあるが,意外とこじんまりした店構えである。今では定番の「豚玉」などもこの店が発祥。 「うどんすき」3300円の発祥のお店。牛すきの残り汁で煮たうどんから麺も一緒に煮込む鍋が誕生した。これは昭和3年に初代がうどん屋とも料理屋とも違う新たな店を模索して完成したもの。春は筍やふき,夏は冬瓜,秋は松茸,冬は牡蛎などの季節の素材が盛り込まれる。 大阪道頓堀の人気たこ焼き店。新鮮でおおぶりのたこは歯ごたえ抜群。大阪のたこ焼は大きいという評判を広めたのがこのお店だといわれている。「大たこ」と類似の店名や商品名はあちこちで見かける。観光客も多い道頓堀で行列が絶え間ないので,この行列自体が名物になっている。 昭和40年の開業以来大阪十三で開店前から行列ができる店として名物になっている。「ねぎ焼」といえばこのお店の名前があがるほど大阪では有名。元々店員たちのまかない食で、創業者が子ども時代(大正の末)に食べていた味を思い出しながら作っていたとか。「ねぎ焼」はその名の通り生地の上にたっぷりの青ネギをのせる。昔屋台で売られていた「洋食焼」がヒントだという。ネギは苦みをださないように包丁で切っているという。 昭和初期関西地方で食べられていた「一銭洋食」をもう一度再現したいと昭和50年頃開業したのがこのお店。ソースをかければなんでも洋食と呼ばれていた時代に当時高価な洋食を一銭で食べられるということで「一銭洋食」の名前が付いていたらしい。レトロな感じの店構えで入口もオープンになっている。この雰囲気は夜店の露店にも似通ったものがあり,童心に帰った気分でわくわくさせられる。祇園の名物の一つとなっている。具は10種類と昔に比べて豪華であり,子供のおやつという感じではない。今では,似たような名前のお店もあちこちで見かけるようになった。 元祖「ぼたん鍋」のお店。いのしし鍋に「ばたん鍋」と名付けた最初の店。11月15日のイノシシ猟解禁日から3月半ばくらいまでしか食べられないそうだ。大正時代に初代波多野角太郎さんが賀茂川上流のいのししを鍋にしたのが始まりという。肉をぼたんのように盛り付けするらしい。スープは白みそで付けだれはポン酢をもみじおろしと京ネギの刻みを溶いたもので食する。いのししのくさみを感じさせてくれないという。 「にしんそば」800円発祥の店。明治15年頃,2代目が総菜として親しまれてきた「身欠きにしん」に着眼して生まれたという。骨まで柔らかく煮えた甘辛いにしんとそばがうまくかみあっており,全国メニューへと発展してきた。実際に食べてみたが,にしんは煮込んだというより薫製に近い感じだった。 終戦後間もない頃、鋳物工場で鯛型を作らせ、配給品の「キューバ糖」を使って旗揚げしたのが、津市「日の出屋」のたいやきだという。昭和24年、まだ月給が百円という時代に1斤五百円の砂糖を使ったたいやきは、なんと1個百円もしたそうだ。甘みに飢えていた時代とはいえ、それが飛ぶように売れたというので驚きである。 このお店のたいやきは評判を重ね、全国の百貨店、デパートから特設の出店として招待されて日本中に広まり、ついには日本橋などの三越デパートで「本場・津のたいやき」と広告されて本家のお墨付きを得た、ということ。残念ながら10年ほど前に廃業したという。 大福のなかにくだものという意外な組み合わせが評判を呼び、その思いの外の美味しさで、全国にまたたく間に広がった「いちご大福」。昭和60年頃、この商品を作り出したのが津市の「とらや本家」さんです。おなじみの大福餅に、たまたま側にあったいちごをのせて食べたら美味しかったことから、店頭試食やアンケートを重ね、今のいちご大福が生まれたのだとか。和菓子店でいちごを使うこと自体が風変わりですが、今では「これを入れたら」という手紙が舞い込むことも。大粒のいちごを使った6個千円のいちご大福は季節物。シーズンにより生パイン大福、梨大福が登場し、全国から注文を受けるほどだそうです。 「ヨコイ」が「あんかけスパゲッティ」発祥の店。昭和38年に作り出したという。あんかけと言っても、「あん」がかかっているのではない。トマトベースのミートソーススパゲッティなのだが,他の素材(野菜やでんぷん質)や香辛料をじっくり煮込んだせいで、全く別のソースに仕上がっている。麺も極太でこれがうまくとろりとしたソースとマッチしている。一番人気のあるのは,「ミラカン」と呼ばれるメニューで,「ミラネーズ」と「カントリー」を合わせたもの。スパゲッティではあるが,人によってはスパゲッティと別物の食べ物と思ったほうが良いという人もいた。とにかく一度食べたら病みつきになるような感じである。 ここの店主が学生のリクエストに応じて作った「あんトースト」が「小倉あんトースト」の発祥だという。 「櫃まぶし」元祖のお店。先代が戦後すぐに開発したという。名古屋は関西式と同じ腹開きで直焼きだが,焼き置きをせず切って盛ることや,タレにたまり醤油を加えることなどに独自性がある。客も多かった。名古屋の繁華街である栄にある。 名古屋名物「台湾ラーメン」の発祥の店。20年前に台湾人の社長が家庭料理のタンツー麺を食べているのを見た客が所望したのがはじまりという。スープは鶏ガラ。ニンニクを入れたしょうゆで煮た挽肉をたっぷりのせている。あっさりで少し唐辛子がぴりっとする。中華料理店なので,ラーメン以外のメニューも多かった。小どんぶりで600円。 名古屋で「あつたさん」といったらここのお店のことらしい。櫃まぶしの代表店。「ひつまぶし」という名前はこの店が商標登録出願中だという。松阪屋名古屋栄本店にも出店している。昼時に行ったが松阪店は行列ができていた。その他に神宮南門店もあり。 手羽先の有名店。鶏の手羽先をやや低温で揚げ、次に高温でカラッと2度揚げ。会長自身が仕込んでいる甘辛いタレが食欲をそそり、軟骨部分までバリバリ食べられる。値段もリーズナブル。デパートの地下などや店舗の数も多い。 最近売れている「なめらかプリン」のお店。とんかつの「知多家」の系列店。名古屋と東京横浜でしか販売していないという。プリンと名乗ってはいるが液状に近い。 「天むす」の元祖といわれている。「天むす」は商標登録になっているという。赤軍えび,米,のり,衣,添え物のキャラブキなどの材料を厳選しているという。確かに,こぶりなのだがあっという間に5個食べとった。持ち帰りが5個で600円。松阪屋本店,松阪屋名駅店,近鉄名古屋店でも販売している。 揚げおきした串カツを温めるつもりでどてやき(モツの煮込み)の味噌の中に入れたのが「みそ串かつ」の始まり。みそ串かつは人気メニュー。 みそかつ丼の元祖。みそかつが珍しくない名古屋人も昭和24年にこのみそかつ丼を見たときは驚いたという。岡崎産の豆味噌でかつを煮て丼にするのは,この店の独創だという。 お客のほとんどが注文するという「山かけ焼」が名物。元祖「山かけお好み焼」といえる。人気があるので時間帯によってはなかなか入れないという話もある。 栗きんとんの元祖といわれるお店。まるごと栗を使っている。栗野風味を生かしているので甘すぎず,風味がある。 信州伊那の名物ローメン。「ローメン」とは 豚の頭をボイルしたスープで、麺,野菜,羊肉を炒めたもので「萬里」が元祖のお店。汁に浸っているスープタイプと汁がない焼きそばタイプの2タイプが店によってあるらしい。酢とラー油と生ニンニク入れると味がからまってうまいらしい。ただ,くせがあるという話もきく。ローサイ(いわゆる野菜炒め)というメニューもある。 元祖ソースかつ丼の店。福井では「かつ丼」といえば,ソースかつ丼のことをさすらしい。大正初期から続くソースかつ丼の草分けの店。創業者がドイツ留学中に味わったウスターソースを日本人の味覚に合わせて改良したという。 福井県下に19の支店あり。 名古屋・山口・宮崎など各地で作られている「外郎」だが,その元祖といわれているのが,ここの「ういろう」だともいえあれている。もとは日本に帰化した中国人「陳外郎」が客をもてなすために作った蒸し菓子だという。 閑静な住宅街のなかに行列ができるらしい。「油そば」の発祥の店といわれている。太い麺に油や醤油で作った秘密のタレをからませる。 「珍珍亭」とこの店が「油そば」の元祖といわれている。どちらが先かわからないそうである。マヨネーズや納豆などトッピングのバリエーションが豊富らしい。 初代がたいやきを考案した店として知られている。元祖であるばかりでなく味の方も焼き上がりを待つ行列ができるほど人気。持ち帰りだけでなく店内でも食べられる。 そばの芯のみを使用したまっ白な「御前そば」が名物。「御前そば」という名称はこの店の登録商標。福岡リバレインにも支店あり。「あま」「から」の2種類のそばつゆがつくらしい。お客によってはブレンドして好みのつゆに仕上げるらしい。ただ,そばの香りを楽しむというより,のどごしのつるつる感を味わうという感じである。 昭和7年から中国大連で餃子店を営業。帰国後日本で開店。餃子の日本上陸に多大な貢献をした店。独特の形と包み方。「餃子」8ヶ483円と「水餃子」があり,定食になるとご飯が付く。店内も狭く昼時には行列になるが,相席をしてもらったりして意外と回転は早いようだ。その他,「天津包子(ぽうず)」5ヶ787円も肉汁たっぷりで人気。 明治13年創業。藪系そばの総本店。少し緑がかったそばが特徴。注文をうけると,店員が独特の語尾をのばす呼び方で奧に注文を伝える。そばの量が少ないのでおなかを満たすには,2・3皿は必要だろう。 四川料理の特色は口中がしびれるほど辛く熱いものである。淡泊な味付けの日本人に,かの有名な亡き陳建民さんが受け入れ親しませてきた。今はポピュラーな「麻婆豆腐」もこの店で評判になり広まったメニューなのである。 創業は大正10年。路地裏の王様になるべく名前がつけられたらしい。その名のとおり路地に面している。豚肉に衣をつけ揚げたものを「とんかつ」と最初に呼んだのはこの店とのこと。洋食の中でもポークカツレツに力を入れようと目新しい名前を名付けたらしい。ロースかつにシナモン風味のカレーをかけた「とん丼(カツカレー)」950円はこの店の名物らしい。先代が考案したロースカツは,脂身が少なくロース嫌いでも食べられるすっきり味だという。 「つけそば」発祥の店として有名。カウンターのみのこじんまりした店内は混雑している。個性的な麺は自社工場製。うどんに近い食感でコシとボリュームがあるという。つけダレはこってりしているが,飽きのこないしょうゆ味だという。 「行列ができるラーメン屋」のさきがけ的な店。1955年にもりそばにヒントを得て「つけ麺(特製もりそば)」650円を考案したという。麺の量が約300gと多め。「つけそば」発祥の店として有名。いつも行列ができている。 列に並ぶと店員が注文聞きにくるが,はじめての客はメニューを選びにくい気がする。店は小さく古い,店の前の大きなゴミバケツにに残りを捨てていたのは夏だと臭いのでは。 店員の服装や店についてはきれいじゃない 店員に通りすがりの人がどのくらい待ちかと聞いたら「30分から40分,それが待てなかったらうちのラーメンは食べられないよ」と言い切った うわさのつけ麺(特製もりそば)650円だが,ガイドブックによるとコクのあるピリ辛醤油味にスープに歯ごたえのある麺との組み合わせが抜群だという。麺とつけスープの2つの大きなどんぶりが出されたので最初とまどった。つけスープにはチャーシューが入っているが後味が甘いような気がした 水が欲しかったが,この店の狭さと混雑ぶりと店員さんががんこそうな雰囲気が「お冷や下さい」と言えなくしていた。このお店に行列ができるのはなぜだろう。 「元祖えびめし」で名高いカレーショップ。えびめしは,ハヤシライスのようなカレーのような味つけのエビピラフのような感じ。ただ,いうことだが他のお店ではそれほど浸透しているメニューではないと思うのだが。カレーは「欧風カレー(中辛)」,「カシミールカレー(辛口)」, 「ベンガルカレー(極辛)」の3種類が基本。 本場のインドカレーを昭和2年に最初に売った店。純インドカレー。「カリーいろいろセット」は,ビーフ・チキン・海老の三種類をセットにしたもの。 日本初のフルーツパーラーとしてオープン。創業時と変わらないフルーツポンチ1000円,パフェの元祖ともいうべきフルーツパフェ1200円は中2階のフルーツパーラーで味わえる。さすがに高級果物店らしくみずみずしいフルーツだった。また,中に入っているストロベリーソースやアイス・シャーベットもそれぞれ単品で食べても美味しいと思われるものが層になっていた。一番下まであきさせないものだった。銀座や原宿などにも支店あり。 1869年創業。天ざる1550円は先々代が考案したという。そばつゆで味付けした卵焼きもある。あるガイドに「近くの会社の重役の社員食堂のような感じである」と評されていたが,確かに初老のスーツ姿が多かった。天ざるを食べたがめんはやや黒みがかっていた。 初代が考案したといういなり寿司(1個80円)が有名。甘辛く煮付けた濃いめの味付けは当時から評判。 元祖親子丼は昼のみのメニューでこれを食べたいために開店前から行列ができていた。多くの文人に愛されたシャモ料理の名店。東京シャモを一子相伝の割り下で煮込んだしゃも鍋定食は濃厚な味わい。「もつ入り親子丼」1200円・「ひき肉入り」1000円・「元祖親子丼」800円。 「元祖ヒレかつ」の専門店。大正3年創業。メニューは「カツレツ定食」と「一口カツ定食」の2種類のみ。揚げ方の特徴は短時間2度揚げ方式。最初に高温の油に30秒ぐらい入れ、瞬間的に衣を焼き、次に低めの温度の鍋に移し3〜4分揚げるらしい。 カツレツの発祥の店。明治末期,先代がウィンナーシュニッツェルをヒントに豚肉を使って考案。日本のカツのルーツともいうべき。 神田藪・浅草並木藪と並ぶ,藪御三家のひとつ。甘皮付のそば粉を小麦粉を入れずにとろろでつないだそばは細くコシがあるという。辛口のつゆだそうだ。 創業以来変わらぬ味で固定ファンも多いらしい。注文をうけてから炊く釜めし1050円〜は8種類ある。20分ほどかかるらしい。 1913年創業の藪御三家とよばれる「藪そば」の総本家のひとつ。濃い辛口のつゆが特徴。もり・かけ650円。雷門から徒歩1分くらいの場所にあるが,やぶの名前とおりお店の前をやぶでおおっている。 明治初年創業の元祖人形焼の店。鳩・提灯・雷様・五重塔の4種類が揃った人形焼はあんの甘さもひかえめ。 タイのバンコクで階店した広東料理店「可口飯店」で日本の「スキヤキ」「しゃぶしゃぶ」にヒントを得て創作されたのが,「タイスキ」すなわち「タイ風しゃぶしゃぶ」である。煮立った鍋に肉魚介類野菜などを放り込み,あみですくって秘伝のタレにつけて食べる。店の前を休日前に通ったが行列ができていた。他に渋谷パルコPART1に支店あり。 明治28年創業の老舗。昼時には行列ができる。日本の洋食では草分け的な店。フランス料理の子牛のコートレットの材料を豚に代えて,衣をつけて,キャベツのせん切りを添え,ソースをかけてご飯で食べさせる日本の洋食「ポークカツレツ」を完成させた。ここも「カツレツ発祥の店」といわれる。少なくともとんかつにキャベツを添えた草分けだという。 かにやアボガドを巻いたカリフォルニア巻(かにアボ)300円の元祖。大とろ500円など明朗会計。都内各所に支店あり。 老舗の甘味処で「あんみつ」を考案した店。あんみつ830円はコシのある寒天と,北海道産の小豆を使った手作りあんで人気。 屈指のビアホールチェーン店。30年以上も人気を保っている名物が「紙かつ」である。紙のように薄いかつで,かつの下にしいた特製ドレッシング和えのせん切りキャベツとの組み合わせが,ビールと絶妙に合う。ビルはオリジナルも用意されている。都内各地に「ビアホール ミュンヘン」として支店あり。 家庭的な洋食屋。昔名ながらの手作りの味を守りつつ,新しい組み合わせのアイディアメニューを提供している。カツカレーの元祖として有名。 42年前に元祖もんじゃ専門店として創業以来、変わらない味で根強い人気。店内もレトロな雰囲気で気軽に入れる。月島ならではの下町情緒を楽しむならここがおすすめ。月島神社前の本店(いろは・一)の他に支店が2軒あって100名位まで収容可能。 全国的にも有名なお店。ニューオータニ・オークラ・京王プラザなどの一流とよばれるホテル内に店を出している。銀座が本店だが夜で握りのおまかせが1万円からになっていた。他の店と異なりコース設定で値段が分かりやすいのは老舗では珍しいのではないか。うにやいくらを初めて寿司だねにしたのがこのお店とのこと。また砂糖を使わないシャリと煮切りをあらかじめ塗っているのが特徴。あまりにも有名店ゆえに金額的な心配もあったが下手なお店で1万円超えるよりも,きちんとしたお店の方が確実だと実感させられた。 吟味した大和芋を使用した650年より昔からの手作り饅頭。「塩瀬総本家」は,饅頭発祥の店といわれる。大和芋で練り上げた皮に小豆あんがくるんである。 安土桃山時代に創業。厳選した小麦粉を使い2日がかりで作られためんはコシがある。うどんそのものを味わってもらおうと種物を一切ださないという。 元祖白河ラーメンのお店といわれている。このお店から修行して独立した店も多いらしい。チャーシューの縁が赤いなどの白河ラーメンの特徴もこの店が始まり。お店はわかりにくい場所にあるのでわざわざ食べに行く覚悟が必要。市街地から離れているにもかかわらず多くの客が訪れる。 「冷やしラーメン」元祖の店。スープが冷たい不思議なラーメンである。よくぞ,脂が固まらないものだと感心する。1952年に先代が考案したという。スープは牛肉のブイヨンをベースにした透明感のあるものである。細麺の縮れ麺に牛肉のチャーシューがのっている。 1個110円。富貴豆あんが甘さひかえめでちょうどいい。最近流行っている「バターどら」の元祖を名乗っている。お店に聞いてみると「バターどら自体は一般名称なので商標登録できないが,うちが一番最初に始めたという自負があります。」とのことだった。第21回全国菓子博名誉会長賞受賞。 稲庭うどんの代表店。本店は秋田県稲川町,支店が湯沢・秋田・横手・福岡天神にある。稲川町には40店舗からの稲庭うどんのお店があるそうだが,「7代」という店名がつくような老舗はここだけだという。ガイドブックなどには必ずといっていいほど掲載されている。 仙台名物「牛たん」の元祖にして人気のお店。「牛タン」といえば必ずこのお店が話題に上がる。観光客や地元の客などでいつも行列ができている。近くに支店もある。地方発送可。牛たん焼のみで780円。厚めにカットされたタンを焼いてくれる。牛たん・テールスープ・麦めしの3つがセットになった定食あり。すぐ近くには支店もありこちらもよくマスコミで紹介されている。 昭和24年に山形で開業。昭和31年に仙台に移転。ファーストフードが登場する以前から「ハンバーグサンドイッチ」の名称で製造販売していたという。ご主人が手作りしてきたハンバーガーはすでに10万個以上という。その味は機械生産とはひと味違うという。パテは天童牛100%という。 元祖「じゃじゃ麺」のお店。「じゃじゃ麺」は盛岡の新たな名物となりつつある食べ物。中華のジャージャー麺のアレンジのような感じ。盛岡以外では見かけることができないという。きしめんに似た麺の上に,特製の肉みそをからめて食べる汁なしの麺。薬味として,生姜,紅生姜,ネギなどがのり,さらにニンニク,ラー油をたっぷり,好みで酢を少々掛けて,ぐちゃぐちゃかき混ぜて食る。チータンという卵スープが付いてくる。場所は盛岡駅から大通りを進み,桜山神社の左の路地へ曲がったとこ。昼時なら行列ができているらしい。 盛岡冷麺の元祖のお店。牛骨とトリガラから作られるスープは、甘みがありまろやかだという。馬鈴薯澱粉と小麦粉で作られる透明感のある麺は、コシがあってツルツルしているという。 帯広名物「豚丼」を最初に考案したお店。十勝産の豚のロース部分を甘辛いタレにつけて焼き,丼に盛る。肉の甘さと焦げたしょうゆタレの香ばしさがなんともいえないらしい。 JR函館駅横の朝市にある食堂。「函館巴丼」というホタテ・イクラ・ウニと北海道の海の幸をご飯にのせている。函館市の市章である巴から命名したらしい。今では朝市ではポピュラーな丼だが,元祖はこの店だという。昭和62年頃に作り出したという。他のお店では,「三色丼」とか別の名前で出している。 「ハセガワストア」は函館で有名な「やきとり弁当」と「24時間営業」の元祖のお店。コンビニに弁当コーナーを併設している。 函館では「やきとり」といったら豚の串焼きになるらしい。「やきとり弁当」とは,豚の串焼きがご飯の上にのっかったもの。 「デラックス弁当」もあったが豚ではなく牛の串焼きだった。 炭火焼きで焼いてくれるのだが,やきべん(小)で 380円と安いのがうれしい。函館市内に10店舗以上はある。 いかそうめん発祥の店。本場のいかそうめんは違っていた。居酒屋などで出されるいかそうめんとは次元が違っていた。寿司もいいネタが安い。特上で2500円。だったが,かに,うに,いくら,とろなど豪華なネタが揃っていた。鹿児島だと5000円以上とられそうである。 日本独自のパンとして酒種をつかった「あんパン」を作り出したのが,この「木村屋」である。明治7年に開発以来人全国に広まった。現在は「しろ」・「けし」・「小倉」・「うぐいす」・「みそ」・「栗」など多種類のパンをそろえている。看板メニューは「桜あんぱん」である。桜の花びらの塩漬けがこし餡とマッチする。のれん分けした「木村屋」が各地で見かけられる。 先代が日本で初めてオムライスを考案したという歴史ある洋食店。西心斎橋店は座敷で食事ができて落ち着いた雰囲気。オムライスはバリエーションが豊富で1000円しない価格である。ふわふわ卵にかけられるソースも手間暇かけたコクがあるもの。店の雰囲気といい値段といい十分満足できるものである。味やサービスにうるさい大阪で行列ができるのもうなずける。 創業360〜370年という老舗。豊臣秀吉がここでわらじを脱いだという由来から店名がついたというくらい古い。「うぞうすい」の元祖といわれる。昭和27年頃,当時雑炊が流行していたので取り入れたという。雑炊用は素焼きのまま使用するという。味がしつこくなるのを防ぐためという。十分に脂が抜けるまで20分くらい焼く。 初めは魚屋だったのが,江鮒(ボラ)の子の腹にすし飯をつめて販売したという。おなかの膨らんだ様子が雀に似ているので「雀鮨」と呼ばれるようになったという。ボラの変わりに小鯛を使用して,宮中御用達になったという。 |
[ 636] ITmedia +D LifeStyle:キモオタの発祥に見るコンテンツ社会の臨界点 (1/3)
[引用サイト] http://www.itmedia.co.jp/lifestyle/articles/0511/14/news005.html
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近年、「オタク」という語感の持つ脱社会的な部分が抜け落ちてしまい、次第に清潔なものになりつつある。だがこれは、名指ししていた層が変化しただけのこと。かつての「オタク」を指す部分に入るべき言葉――「キモオタ」について考えてみた。 数年前までは一種のカルチャー用語であった「オタク」も、テレビや新聞など一般メディアが取り上げるようになって以来、普通名詞となりつつある。それだけ世の中にオタクが増えた、という見方はあまり正確ではなく、この場合は単にオタクと呼ぶべきスレッショルドが下がっただけ、と捉えるべきであろう。 オタクとい う言葉が発祥した80年代、この言葉の語感はもっと反社会的、ではないな、どちらかと言えば脱社会的な響きを持っていた。当時同じようなカルチャー用語に「ビョーキ」があったが、双方とも社会的不適合性という意味では、同じようなものであったろう。 だが「ビョーキ」のほうは、それほど長期に渡って使われなかった。そもそもこの言葉の基盤となった文化とは、YMOを中心としたテクノミュージックであり、それに派生するテキスト、美術、パロディであった。そしてその象徴の「散解」により、「ビョーキ」を構成していた層は徐々に解体されていく。それに傾倒していた学生らは、多少おかしなやつでも飲み込んでしまうバブル経済社会へと組み込まれていったのである。 一方で「オタク」という言葉が長く生き残ったのは、それに象徴される社会事件が、時折世間をにぎわしたからだろう。猟奇的な性犯罪事件は、ことごとく「オタク」のせいとされた。逆説的に言うならば、犯罪を犯すのは個々の問題なのだが、その背景を語るときに十把一絡げで「ああいう人たち」を総称できる「オタク」という言葉は、便利だったのである。 ただ近年、オタクによる市場経済効果を試算するなどの試みが行なわれていくに従い、「オタク」という語感の持つ脱社会的な部分が抜け落ちてしまった。以前にもブログのほうで書いたことがあるが、オタクという言葉は次第に清潔なものになりつつあるのだ。(字面的に「ヲタク」と書く場合は若干ニュアンスが違うのだが、ここでは話し言葉の発音として、「オタク」に統一させて貰う)。 いくら言葉から脂っ気を抜いたとしても、すぐさまそれに対応して人間が変化するわけではない。冒頭にも述べたが、要するに名指ししていた層が変化しただけなのである。筆者が体感的にこの推移をまとめると、以下のようになろうか。 あくまでも筆者はこう感じる、ということなので、根拠を求められてもそんなものありはしないのだが、ここはもっともらしく説明してみよう。 まず90年代に、いわゆる旧来のマニアと言われる層の行動が社会的に目立たなくなった。バブル経済の崩壊により、お金のかかる趣味に没頭する人が少なくなったということもあるだろうか。筆者の知るところでは、高級オーディオやホームシアターなどの趣味は、いったんこの時期に衰退している。マニア層を相手にしていた商売にとっては、まさに失われた10年である。 継続的に使われない言葉は、古くなる。00年代を迎えてまた趣味などを始める多少の余裕が生まれると、かつてのマニア層を総称する言葉が空白となる。どうもその部分に、「オタク」という言葉を多少ライトな感覚で当てはめていったのではないか。 00年代に入ってからの「オタク」は、以前であれば趣味人や通(つう)であることの、自嘲的なニュアンスとして成立しつつあるように感じる。例えば「隠れオタク」などという言葉があるが、リアルに80年代のオタク像を当てはめると、そもそも隠れることが可能な時点でオタクではない。かつてのオタクが意味した層は、普段からの見た目や言動に社会的な適合性を持たないため、隠れる、すなわち一見通常の社会人と同等であるように見せかけることができなかったのである。 「オタク」という言葉が指し示す層が下へずれてくると、かつての「オタク」を指す部分が空白となる。そこに入るべき言葉をいろいろと考えたが、感覚的に近いのは「キモオタ」だろうか。 その発祥時においては、「キモオタ」の指し示す範囲は狭く、アイドルや声優の過激なファンを指す言葉とされていた。それが次第に字面から解釈拡大が進み、かつてのオタクのポジションに収まりつつある。 ただこの言葉が、これまでのオタクに類する言葉と決定的に違うのは、自称する言葉ではないというところである。むろんかつての「オタク」という言葉も、発祥当初は自称する言葉ではなかった。一般人から見て理解できない趣味の傾向に名前を付けることで、概念化したに過ぎない。 オタクという言葉が延命した理由は先ほども述べたが、もう1つ、自称する言葉として用いられたから、という要因は考えられないだろうか。すなわち一連の社会事件を通して、被差別を受け入れるというムーブメントがあった、ということである。そうして自称が可能な言葉であるがゆえに、レベルを下げて普通名詞化することも可能だったのではないか。 この状態は、かつての「ビョーキ」が自嘲的な響きを持ちながらも、その中に多少の選民的な要素も含まれていた感じに近い。 アイリスオーヤマは、Ag+の抗菌作用を利用して水タンクなどを清潔に保つ“ハイブリッド加湿器”「HBK-400」を9月14日から全国のホームセンターなどで販売する。 パナソニックは“明るい部屋でも使える液晶プロジェクター”の新製品「TH-AX200」を10月29日に発売する。画質の向上にくわえ、新たにゲームモードも備えた。 ティアックはターンテーブル付きCDプレーヤー「GF-650」を発売する。ダイヤ針やアルミダイキャスト製ターンテーブルで音質を向上させた。 バイ・デザインはデジタルチューナー搭載の19V型液晶テレビ「LW-1906DHYTD」の価格を改定、4万9800円で販売開始した。 iPodファミリーを一新したアップル。注目のiPod touchを含めた新製品で同社は何を狙うのか、来日した米Apple幹部に話を聞いた。 jobtxt1 += 'ITエンジニア2万人の年齢と年収が一目瞭然隣の芝生(年収)は本当に青いのか???'; カシオ計算機が世界最速の連写が可能な“次世代デジタルカメラ”を開発した。60枚/秒の超高速連写を実現。動画撮影では、肉眼では見えない動きを捉える300fpsのハイスピード録画が可能だ。 カシオ計算機が薄型コンパクトデジタルカメラ「EXILIM」の新製品4機種を発表した。全機種H.264方式の動画撮影に対応。動画共有サイト「YouTube」に最適な設定で撮影できる“You Tube撮影モード”を備えた。 ニコンがステンレス素材を使用した質感あふれる“プレミアムコンパクト”COOLPIXの新製品を発表。クラス最小は譲らず。12メガCCDモデルも用意。 リコーが広角/マクロ撮影に強い「Caplio R」の新製品「Caplio R7」を発表。光学7.1倍レンズに高画素化された8メガCCDを組み合わせる「クラス最薄」コンパクトデジカメだ。 ニコンがデジタル一眼レフカメラ「ニコン D300」を発表した。ハイアマチュア向け「D200」の後継で、12.3メガCMOSを搭載したDXフォーマットの最上機種。 水中撮影可能なコンパクトデジカメ「μ・SWシリーズ」にポップなカラーの新製品が登場。進化した顔認識機能や画像処理エンジンを搭載している。 キヤノンはハイアマチュア向けデジタル一眼レフカメラ「EOS 40D」を発売する。CMOSセンサーが10メガに、エンジンはDIGIC IIIに進化した。背面液晶も3インチへと大型化。 キヤノンが、3インチの大画面液晶を搭載した手ブレ補正機構付きコンパクトデジカメ「IXY DIGITAL 910 IS」を発表した。 キヤノンのハイエンドコンパクトデジカメ「PowerShot G9」が発表された。従来機G7のデザインを継承し、画素数と液晶サイズを強化している。 富士フイルムが27ミリスタートの光学18倍のズームレンズを備えた一眼レフタイプデジカメ「FinePix S8000fd」を発表。CCDシフト方式の手ブレ補正も搭載した。 富士フイルムがハイスペックコンパクト「FinePix F50fd」を発表。顔認識や高感度撮影が強化されたほか、手ブレ補正機能も新搭載した「最強のフルオート」。 松下電器産業がコンパクトデジカメ「DMC-FX55」を発表。LUMIXおなじみの機能に加え、カメラが自動でシーンモードを選択する「おまかせiA」を搭載とまさに“設定知らず”。 |