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誰かとは?

[ 803] 誰かの自傷日記
[引用サイト]  http://diary.jp.aol.com/tfweujmwfg/

高校の音楽室にに携帯電話を忘れてしまって昨夜気付いて取りに行ったときには本館は閉まっていて入れませんでした。だから今日、早いうちに取りに行こうと思って居たら 午後4時を過ぎていてちなみに今朝こそは病院に行こうと決めて居たのに やはり無理でした。乱暴に鞄を持つと脚に重くぶつかりその時痛みを感じ、見ると鞄の角から針が飛び出して居ます。安全ピンかと思いきや鞄の内側を探るとそれは注射針でした。そういえば以前 瀉血器具たちを持ち出したとき一本鞄の中に落としたやうで時々発見されるごとに滅菌パックが朽ちてボロボロになって居ました。ついに鞘まで外れたか−チョット気持チイイ−現役君は一人だけのやうでした音楽室で携帯電話を受け取るとあたしは職場へまともな所でバイトしていると知ると 顧問は意外そうな顔。職場の御向かいの激安スーパーで茶とパンを買ってから更衣室に駆け込みますもう夕礼が始まる頃でしたが あたしは養分補給今朝から大して食べて居ないもの。冷蔵庫にはスパゲティーがあってソースが無く それ以上追求する気力が在りませんでしたので。パンは半分まで噛る…朝の薬を飲む暇は無し。人形に植毛して居て 不慣れな為 勢い余って布団針で刺した指の腹が酷使されると割れてきました。残り半分のパンは10分休憩の際に完食し水分も小まめに摂取したので無事に勤務終了致しました。−徒歩一分で24時間営業のスーパーまで行ける、便利な我が家の立地。午前1時になってサーフェイスピアスを固定するテープをきらしたので買いに行きついでに半額シュークリームなど買って食べました。もう八月も終わったのですね、八月中にしなければいけなかった難病登録更新手続や携帯電話通話料振込は未だ手付かずです。何時だって忙しいのは何故かしらどうして何時もギリギリで焦るのか、あたしは少うし答えを知って居るのですけれど時々腹を立てる人が居る時々叱って下さる人もやがて諦める人も居て改善すべきは何でせう、人のせいにしたく無いことは判って下さい。それでも上手く説明できないあたしどなたか あたしの生活リズムや予定などを管理して戴ける方は居ないか知ら強制するのでなく行動を移す何分か前に予告して欲しいのあとは訓練、常人に紛れて当たり前に振る舞えるやうに成れたなら。−−−ところで注射針のストックをもう少し仕入れて確保するかどうか考えて居ますルートや金額は問題無いのだけど、購入したい動機があまり無いのです。瀉血したい時ってたまに在ります。そういう時って少し落ち込んで居ることが多い。瀉血したいけれど、針を買うところまで行動出来ません。それを見越して今買おうにも今この瞬間のあたしは針を欲して居ないのだから馬鹿らしくも思えるのです。−ピアス開けたいからニードル買わなきゃ。
「客を馬鹿にすんのもえぇ加減にせぇや!」ばぁん と台を叩いて、御客様の怒鳴り声は店中に響いた。−その日は変な御客様が多かった。あたしは久々のレジで、寝不足で、鈍って居たかもしれないレジ袋は各サイズ毎の値段が違い 商品の大きさに見合ったサイズの袋を渡すようにと 伝達があった店の規模を説明するとき 田舎等では『スーパー』の認識が違うらしく苦労するレジは基本6台。『開かずの五番レジ』とカウンターレジを入れると8台。店の出入口が二箇所ありレジも二箇所に別れる。梅田に近いが梅田ほど綺麗じゃ無い。朝8時から夜11時迄営業。一台のレジには少なくとも一日で600人が清算に訪れる。時期により1000人を超す夜だ客が絶えず混んでいたその御客様は突然現れ 袋をくれと言いあたしは問うた「何に御使いになられるんですか?」偶然 御客様は死角にカゴを置いておられた−マネージャーと品出しの男の子が謝っていて遠巻きのギャラリーが呆然としていた「なんや御前とこのレジは!一から教育し直せ!」「此処の店は中国人雇っとるやろ。…中国人の方が礼儀弁えとるわ!」「客は神様っちゅー言葉を知らんのか!」マネージャーらは「おっしゃるとーりです、すみません」と頭を垂れようやくレジが開いてあたしは御客様の正面へ出る「大変申し訳ございません」−次からは『恐れ入りますが』を使いこなそう。あの時「気にせんとき」 「泣いたらあかんで」とか言ってった御客様も何人か居たっけトラブルは初めてじゃあ無い。ヤクザも酔いどれも来る。今朝は花束を買った御客様が「百合だけ要らない」と おっしゃったので抜いて勿体ないのであたしは持ち帰り更衣室で「御客様がくれたの」と話して居た
皆様如何御過ごしでしょうかあたしの部屋はサウナです。滝のように汗が吹き出します。本日、御人形の浴衣が出来上がりましたのでLDDのフェイスちゃんに着せてみました。血のようなムラ染めプリント柄は浴衣にすると貞子を思わせる長髪の水死体に似合うかと思いましたので。このあたしが人形に手間隙かけてるだなんて時間の無駄もいいとこだわ と 考えると苛々するのですが。御人形…リビングデッドドールは増える一方です。昨夜も初代の子を一体落札致しました。ブライスや、増してやSDとやらには手を出しません。好きな方ごめんなさいね。見るのは好き。プーリップは少し興味が在って、名前も割と覚えてしまって居ます。もしかしたら手を出すかも知れませんが 基本的にあたしはリビングデッドドールが好きです。御部屋に並んだ子たちの紹介を そろそろしていかねばなりませんね。
昨夜 在ったことは忘れよう誰にも話さない何処にも書かない何も 無かった。生温い湯水に浸かった等と知られたらあたしはあたしを許せない−−−インターネット喫茶にてオンラインストアから御洋服を注文後、このブログの状態を確認しようと思い『自傷』と云う言葉で検索をかけると一覧にタイトルが現れます。“誰かの自傷日記”クリックすると見慣れない表示画面…閲覧出来ないようフィルターで制御されて居ました。青少年の何とかに悪影響を及ぼすと云う判断が為された模様…申し訳ありません。青少年の心の発達には十分配慮していきたい構えですが時々至らないことばかり仕出かしてしまうのは否めません。−半端な傷写真ばかり晒すと自身のステータスが下がる気がしますけれど晒そうとするのは“自傷”と云う看板を背負って居るからでしょうか自傷を専門とするパフォーマンサーが居ますあたしは海外サイト等でその写真を観ることが在りますサスペンションやプレイピアッシングの類には恐怖しませんが硝子片の散らばる上で跳びはねたり 電ノコで自慰したりは 見て居られません。画面を見つめながら自ずと手で口を覆って居たりします。何故あんなことをするのかそれは御仕事だもの。人から好かれる術としての自傷グロテスクをわざわざ見に来る人も居れば 熱狂する人も居るのですよ あたしが自傷する理由見られたいと云う理由も、恐らくは存在するのでしょう身体を切る瞬間はそんなこと意識して居ないのが殆どでせうが“切らなきゃ誰もあたしを見てくれないかも知れない”心の何処かできっとそう思って居たのでは無いかしら。けれど“こんなもの見られたらあたしは嫌われてしまうかも知れない”とも思うあたしが居ます要するにあたしは好かれたいのですその思いがカオスに為って居ると考えられましょうもっと別のことしても善いのにね。−−−取り敢えず昨夜のことは忘れやう途中で醒めても 誘ったからには責任を取るあたしですがどの選択肢も苦しいと判ったから無かったことにしやう
折角何ヶ月何年経って傷は白く古く目立たなくなったと云うのにたった一本の生傷で、『可哀相な人』に為ってしまう半袖 レジ バイト今 傷は紫色をして居ます−−−久々の祖父の家は恐ろしう。岡山の無人駅のすぐそこ、着くなり掃除をせざるを得ませねあばら家か幽霊屋敷か。…昔から怪現象は起こりますし あたしも一度発狂しましたけれど幽霊よりも“汚れ”が恐ろしう。触れられるものが無いのではと云うくらい恐ろしう…世にも美しい羽の蛾ゴミみたいな羽の蛾何かの幼虫ゴキブリボウフラウジ様々な生き物に出会えました なんていつぞやの帰省時にも同じことを書いた気がします候。祖父は気狂いで無く変人なのだけど祖母が亡くなってから掃除する者が居なくて荒れ放題。−−−行きは母妹と共に、帰りはあたし一人。母と妹はもう少し避暑する模様。そこで梅田からバスに乗るのが嫌なあたしはS君にメールしました。S君は梅田まで自転車で迎えに来ました。呼ぶ方も呼ぶ方とて来る方も来る方でしょうに。彼の後ろに座って、彼の腰を持ちます暑いのも在って二人の身体は十分な距離を保ちけれど飽きてきたあたしが彼の乳首などを触り、彼はバランスを崩してよろよろします。罠のやうあたしは自ら相手の領域に踏み込み、悪戯していく癖に相手があたしに触れるのを拒みます。あたしは安価な土産を渡し、彼は接吻を求め拒まれます不意に玄関戸が開き親父が「おかえり」「じゃあねS君!」あたしは笑顔で手を振ります。−−−『明日えっちしよっか』何だったかしら不意にあたしはそうメールしたのだっけ確かあたしが『けがらわしいっ』と言ったので彼が『けがらわしくてごめん…』と謝ったその直後のこと。いつもの後先考えない思い付き。何ゆえかトントン拍子でバイト後ホテルへ行くことになってしまいました。あのねえ今まで拒んでた女が いきなり誘ってくるなんて少しは疑いなさい。きっと暑さで頭が往ってしまったのね…今 日本で一番暑いのは母いわく大阪我が家には母の寝室以外にクーラーが在りません。『いっぱいえっちしようね』なんだか中学生の頃みたい。見ず知らずの男性と会う約束をして、直前になってあたしは消える。ハンターにとって迷惑極まり無い。何度となく…高校に入っても大学に入ってもそんなことが在ったっけ。要するに彼も、あたしにとっては彼等と同じと云うこと。−あ、お気にのバラ鞭 持ってきて無いわ帰ろうかしら
久しぶりに“ぴあっさー”と話しました。このごろはメールのやり取りも無くてあたしは前回の飲み会にも参加しませんでしたが…“ぴあっさー”の携帯が壊れたから電話かけてと、マサちゃんから連絡が回ってきて 通話したのだけど。嘘をついて居た と 謝られました。けれどあたしはショックなんてのは無くて…増して怒りや悲しみも湧きません少うし、事実の認識が変わっただけのこと。そしてあの可愛らしい男の子の 母親が出てったと。ママ、ママと 時々あの子は呼ぶんだと。同情しますわ御二人に。親を知らない青年と 母親を失くした乳幼児が一緒に暮らして居るとは不思議な巡り合わせ。あたしにはどうしたらいいかなんて判りません、御話だけ聴いて半端な脳で考えた浅知恵を 無責任に投げるのですあたしはあたしの領域を崩しては為らない。一線を越える勇気や覚悟は無いのだから…引き込まれてはいけないのです。それは誰に対しても護ることにした決まりごと。「ダレカは最近どう?」問われてあたしは幸せに生きている、と答えて居ました。ええ きっとあたしは幸せなのでしょう妹は元気。母は退院して元気。きっと親父も元気。兎も。今ほど幸せな家庭はきっと無い。“ぴあっさー”の話を聴いて以前の父親が出てったことを思い出して居ました。嗚呼 本物のおとうさんやおかあさんに勝るものは居ないこの世におとうさんは一人。おかあさんは一人。他の人間が成り代わることは出来ないのです。たとえ酷い人間だったとしても…あの子はどうなるのかしら。あたしの“おとうさん”は優しくて面白くて あたしを理解していましたあたしは“おとうさん”に懐いていて “おとうさん”が大好きでした何故離れ離れになってしまったのかしら捨テラレタ?…そんな感覚は全く在りませんあたしは“おとうさん”が大好きで、“おとうさん”もあたしを愛して居ました四年半も 二人は一緒に居られたのだからやっぱりあたしは幸せなのです。あたしはもう折り合いが着きましたあの子、まだ二歳にも満たなかったと記憶しているのだけど。とっても心配。
クリックすると、言葉を発します。あたしには恐ろしくて堪りません。猫のコピーキャットと鼠のギニーピッグのどちらかが表示されて居る筈。
トリコミというバンドが、あたしの大好きな戸川純をフィーチャーしたシングルCD。戸川純さまファン必見!で御座います。真っ二つのテディベアに惹かれます。『わかってほしい』
大学の講義で読みました。虐待が、子供の心の中に何を産み出すか・・・真っ赤な色彩と、ボロボロになってくぬいぐるみでそれを表現したショッキングな絵本。〜ひとくちメモ〜DV(ドメスティックバイオレンス):夫婦間暴力。CA(チャイルドアビューズ):児童虐待。何故かクマちゃんが虐待されてる作品2点を応援しておりますが、この2つはちょいとノリが違います。戸川純はブラックユーモア的で在り、赤い絵本はもっとシリアスな問題提起であることを断って置きます。
―――7月14日ダレカブログランキングranQこちらを押されますと、この日記が少しばかり有名に為ります。

 

[ 804] 誰か昭和を想わざる
[引用サイト]  http://www.geocities.jp/showahistory/

戦前という語は無論、昭和20年の終戦以降に使われるようになった言葉であり、それまでは震災前、震災後と関東大震災を区分とした言葉が使われていた。関東大震災は江戸の街並みを破壊し尽くし、大正デモクラシーは江戸、明治の風習や生活意識を壊したとされる。昭和の初めは不況であった。この不況は大正9年より続いており、昭和になっていきなり景気が悪くなった訳ではない。都市には大正デモクラシーの行き着くところまで行き着いたモダンガール、モダンボーイの一群が跋扈し、それまで美徳とされた忠孝の道は古びて学生の間にはマルキシズムがもてはやされた。昭和の初めは大正デモクラシーの熟しに熟しきった空気もあった。昭和に入って初めて実施された普通選挙は議会の腐敗をもたらし、国民の議会不信を募らせる事となる。この時期、まだ中国との戦争は始まっていない。日本の中国における利権確保はアメリカ、イギリスなどと同等で突出はしていなかった。
不況の特効薬は戦争である。戦争によって植民地などからの資源確保と広範な経済圏が確保されればその国は繁栄する。日本が満州でのなし崩しで事後承諾の軍事行動を開始するのは昭和6年。これに最も敏感に反応したのは自らも中国利権を確保したいと願っていた米英であった。対して肝心の中国はいまだ軍閥が割拠し、その最大のものである国民党と共産党は同士討ちを繰り返し、昭和12年になって国共合作が成立した。この昭和12年は日本が南京を占領したものの、中国側は降伏も和議も申し出ず徹底抗戦に転じて、終わりなき戦争に突入した年でもあった。それまでの中国側が折りよいところで和議を申し出て、日本の中国における利権が増えて戦争は停止する、というパターンが通用しなくなるのである。日本が中国での戦線を拡大していったのは、国内不況の打破のためである。事実、都市部では軍需景気で沸きに沸いた。ただこの好景気の恩恵を受けない人たちがいた。その際たるものが東北の農村である。農村は疲弊し、娘の身売りが相次ぎ、輸入音楽やチャップリン映画に浮かれる都市住民との生活の落差は拡大するばかり。この狭間で爆発したのが五一五事件であり、二二六事件である。特に二二六事件は完全に失敗に終わり、事件を口実にかえって陸軍による官僚的な政府支配を強め、腐敗に満ちた議会政治に終止符を打っただけであった。この時代は、自分がどこに住んでいてどういう職業だったかによって、世界が明るく見えたり暗く見えたりする。戦前を「明るい」と言う人もいて、「暗い」という人もいるのは、どちらも嘘ではない。国民の間で生活の落差の激しい時代だったからである。例えば学歴差別がない徹底した平等社会、能力主義の社会だった陸軍についても、対米英戦末期になって召集された学生などプライドの高い知識人にとっては、職工あがりの古参兵などにいじめられるのは耐え難く、逆に職工などには「学士さまも社長も軍隊ではみな同じ」と軍隊生活を懐かしがる人が多かったという。
近衛首相の新体制運動とは耳障りのいい言葉で、まるで清新な政治改革の推進のように聴こえたが、実際には挙国一致の総動員体制の完成にほかならず、陸軍の専横、時局便乗の報国団体の乱立、愛国婦人会や隣組による私生活干渉などを起こした。中国戦線は日本の勝利が続いてはいたものの、停戦のタイミングを逸してしまい、いつになったら終わるのかが見えない。そして欧州で破竹の快進撃を続けるドイツと手を結んだ日本は、アメリカの経済制裁による国内経済破綻打破のためには、さらなる領土拡張と自前の広範な経済圏確保を図る必要に迫られる。選択肢は2つ。北進でソ連と対決してシベリア入りをするか、南進して欧米の植民地であった東南アジア入りをするか、である。日本は南進を選ぶ。昭和16年、対米英戦開戦。米英への抜きがたい劣等意識、強大なアメリカとよもや戦争はしまい、という大方の予想を裏切り、開戦ばかりかまさかの日本の連戦連勝に国内は沸きに沸いた。それは国民の不満をすべて吹き飛ばすものだった。知識人は競って日本軍賛美の作品やコメントを書き、時の指導者、東條首相人気は爆発した。日本の連勝が止まるのは昭和17年6月のミッドウェー海戦の大敗北だが、事実は公表されなかった。大本営発表は戦勝の筈なのに、ガダルカナル転進、山本五十六長官戦死など明らかに矛盾する情報が報じられる昭和18年には学徒出陣、学徒動員が始まり、戦時色が実生活にも及んでくる。東京への本格的なアメリカ軍の空襲は昭和19年11月。しかし軍需工場中心の爆撃で、当初は恐怖していた一般国民も、自分達を襲わないと知るや「お客さん」とアメリカ軍機を呼んでひとごとのような気分だった。昭和20年3月、東京大空襲。下町一帯を襲ったこの無差別空爆以降、都市部の一般国民は空襲の恐怖に脅える事となる。
米軍による都市への無差別空爆で日本は焦土と化した。国内インフラは破壊され、国民生活水準は昭和史上最悪となった。軍隊消滅と外地からの復員で失業者があふれ、多くの植民地を失った事による経済的な打撃も致命的だった。この時期、都市部の窮状とは裏腹に「我が世の春」を迎えていたのは農村部である。食糧が何よりも先に最も価値があった時代、都市部から物々交換で食糧を分けて貰おうと農村部に人が殺到したのである。しかし農村部にも大きな変化があった。米軍の進駐以降、日本の戦前全否定と欧米流民主主義の浸透のために農地改革が行われ、不在地主などの制度が撤廃されて小作人が自作農となったのである。この進駐軍の施策では財閥も解体、それまで政府中枢にいた人々は公職追放され、憲法も変わり、荒療治が行われていった。とはいったものの日本人の意識の多くは保守的であり、進駐軍の顔色をうかがいながらの手探りの民主化が進められた。米占領下の日本でいちばん偉い存在だったのはGHQであった。やがて米ソ対立の激化、国共内戦での国民党敗北、朝鮮戦争の勃発などで共産主義の攻勢が強まる中、アメリカの日本統治政策も変化していく。レッドパージにより地下潜伏した共産党は暴力革命路線に転じ、やがて国民の支持を失った。そして日本は朝鮮戦争による軍需景気で一息ついたものの、本格的な経済回復にはなお遠く、国民の生活水準は戦前以下であった。昭和27年、日本独立、しかし国際社会への復帰はまだ認められないままだった。またようやく国民の間にもレジャーを楽しむ余裕が生まれてきたものの、国内インフラの整備は旧態然としたままであり、その落差から国内各地で大事故が頻発した。
「もはや戦後ではない」。高度成長時代への突入である。それはまた、日本が敗戦の疲弊からの完全復興を意味するばかりでなく、戦前の生活水準を上回る事も意味していた。ここに現実の生活苦から来る戦前懐古の気分は霧消する事となった。神武景気、なべ底不況、岩戸景気、いざなぎ景気とほぼコンスタントに日本は経済成長を遂げ、開発こそ善の思想が一般国民の間では当然と思われた。原子力は希望の灯であり、工場の煙突は明日の生活の豊かさの象徴でもあった。国連への加盟により国際復帰を果たした日本は、その総決算である昭和39年の東京オリンピックへ向けて邁進する。海外からの観光客を迎えるための国内インフラの整備によって東京の街並みは完全にかつての姿を失い、国民の生活感覚もつましいものから、次第に消費優先のものへとシフトしていく。昨今、昭和ブームなどで描かれる「三丁目の夕日」然とした漠然とした懐かしい生活のイメージはこの頃のものである。これ以前になると貧窮など思い出すのも辛く、とても懐かしいどころの生活ではないし、これ以降になると街の姿も人情もいま現在のそれと余り大差がなくなってくるからである。この時代は政治の季節でもあった。60年安保である。この60年安保は後の70年安保とは違い、一般国民の間にまでその裾野が広がった大規模な政治運動であった。しかしあえなく挫折、盛り上がっただけに失敗に終わった後の失望も強く、60年安保以降、国民的規模の政治運動というのは遂に起こらなかった。国民の関心は政治から経済へと向かうのである。
昭和39年の東京オリンピックまでの国内インフラ整備で旧来の生活スタイルは激変、国民意識も変化して現在へと続く消費社会の幕開けとなった。開発は善で、生活をよりよくするための手段という明治以来の概念は、公害が看過できないまでになってくると、自然や国民の健康を犠牲にしてまでの開発は必要ないという考えとなる。東京でいえば墨田川は悪臭を放ち、夢の島には蝿が大量発生し、光化学スモッグや車の排気ガスによる地域住民への健康被害が挙げられる。地方自治体に革新首長が次々に登場したのは、公害を防ぐには保守系の首長では不可能だ、という事もあった。しかし国政は自民党の佐藤栄作首相の長期政権となり、高度経済成長はなお続いていた。この時期、70年安保というものがあった。これは60年安保とは違って一般国民が主体でなく、学生の独壇場であった。この学生の政治活動は次第に少数先鋭化し、最後は連合赤軍による凄惨な同士討ちの連続リンチ殺人で幕を下ろす。閉鎖的な集団でしか通用しない論理で仲間内での殺人を繰り返す、こんな事で支持と理解が広がる訳もなかった。遂にキャンパスからも政治の季節は去ったのである。そして円に変動相場制の導入、石油ショックなどにより物価が高騰、高度経済成長に陰りが見え始めた。その一方で田中角栄政権は国内開発推進の日本列島改造論を引っ提げ、土地バブルと土建屋優遇による露骨な金権政治がスタート。ロッキード汚職以降も田中派はその集金力から自民党最大派閥の座を揺るがす事はなかった。海外では中国の長かった文化大革命が終焉、国際社会は中国共産党政権を正統な中国として受け入れ、日本もこれに準じた。
アメリカのレーガン政権、イギリスのサッチャー政権、日本では中曽根政権、80年代の幕開けは主要先進国での世界的な保守派の巻き返しで始まった。ソ連を代表する共産主義陣営に対する資本主義陣営の優位は疑うべくもなかった。キャンパスで政治を語った若者らは、80年代には大量消費社会の担い手として、テレビ、アニメ、ゲームなどを中心としたサブカルチャーへと、その嗜好を拡散させていく。集団で何かをするという事はそぐわなくなってきていた。個室育ちの個性尊重の時代である。それはまたフジテレビ主導の80年代軽薄時代の幕開けでもあった。「面白さ」「笑い」を至上の価値とする若者の感覚は、学芸会をテレビに持ち込んだと批判されて「面白くなければテレビじゃない」と開き直ったフジテレビによってもたらされたものであった。そして昭和60年、先進5カ国のドル高円安協調、いわゆるプラザ合意が後のバブル経済の導火線となった。株価は2万円台突破、昭和最後の日々というのは、日本経済栄華の頂点の時期でもあった。世界史上にもかつてない破局へとなだれ込んだ昭和初めの20年の歴史、そして世界史上にもかつてない繁栄へと登りつめたその後の昭和の44年の歴史。昭和史には今後、日本人が体験するであろうあらゆる出来事へのノウハウが蓄積されている。この時期、リクルート汚職と消費税導入のダブルパンチで自民党安定多数に崩壊の予兆が見え始めた頃でもある。そして政治、経済共に停滞と空白の90年代を迎えるが、それは平成の物語である。

 

[ 805] 誰かの妄想
[引用サイト]  http://ameblo.jp/scopedog/

第一条 凡ソ許可ヲ得スシテ売淫ヲ為シ及ヒ媒号容止スル者初犯ハ拾円以内再犯以上ハ弐拾円以内窩主初犯ハ拾五円以内再犯以上ハ三拾円以内之罰金ヲ科ス
第二条 若シ無力ニシテ罰金ヲ徴収ス可カラサル売淫者及ヒ媒合容止初犯ハ二ケ月半以内再犯以上ハ五ケ月以内窩主初犯ハ三ケ月以内再犯以上六ケ月以内ノ苦使ニ処ス
第四条 売淫ノ罰ヲ受ケシ者貧窮ニシテ自存スル能ハサルハ教育所ニ付シテ工芸ヲ授ク可シ其工事ハ習熟シ又ハ工銭ノ貯蓄ヲ得就処ノ目途アルカ或ハ人ニ嫁スル等ノ類ハ親戚又ハ地主家主差配人等身元確カナル者ノ保証ヲ以テ之ヲ下付ス可シ(同年2月削除)
第六条 寄留ノ者売淫ノ罰ニ処セシトキハ其親戚又ハ雇主受人或ハ町用掛等ヘ責付シ本籍ヘ送還セシムルコトアルヘシ
『アジアの諸国民はなぜ、日本が自由になることを切望しているのか、それは、アジア諸国民と日本との長きにわたる結びつきのゆえであり、また、植民地として従属的地位にあったアジア諸国民が、日本に対して抱いている深い尊敬のゆえである。往事、アジア諸民族の中で、日本のみが強力かつ自由であって、アジア諸民族は日本を守護者かつ友邦として、仰ぎ見た。私は前大戦中のいろいろな出来事を思い出せるが、当時、アジア共栄のスローガンは、従属諸民族に強く訴えるものがあり、ビルマ、インド、インドネシアの指導者たちの中には、最愛の祖国が解放されることを希望して、日本に協力した者がいたのである。』
とりあえず、J.R.ジャヤワルダナとはどんな人か見てみましょう。と言っても日本語サイトはほとんどネトウヨによる太平洋戦争擁護の内容ばかりで、本人に迫った内容は見当たりません。何とも自分達に都合のいい言質だけ取れればそれ以外に用はない、と言わんばかりですな。
Eugene Wilfred Jayewardene とその妻Agnes Helen の11人の子の長男。コロンボの王立大学に学ぶ。学生時代はクリケットチームに参加して大きな試合(Royal Thomian big matchとありますが詳しくないのでよくわかりません)に出たり、1925年にはラグビーチームにキャプテンになったりとかCadet Platoonというチームのメンバーになったそうですが、やはり詳しくないのでよくわかりません。親しい人からはDickieと呼ばれていたようです(なんでだ?)。世界には”JR”で知られている。コロンボ大学では、英語、ラテン語、論理学、経済学を学び、1932年3月に法学に進んでいます。1935年2月28日Elina Bandara Rupesinghe嬢と結婚。Ravindra Vimalという息子が得る。
JRは32歳のときに表舞台に出る。セイロン国民議会保守派がJRに接触する。JRは彼の仏教教義とは反対のLanka Sama Samaja党のマルクス主義思想、Sinhala MahaSabhaの民族主義、他の政党を見てまわる。1940年の地方選挙で勝ち、1943年4月に国民州議会に入り、1947年にD.S.Senannayakeが連合国民党(United National Party)を作った時、JRは創設メンバーの一人であった。JRは1947年の総選挙で勝ちセイロン政府の初代蔵相となる。
1951年、JRはサンフランシスコ講和会議にセイロン代表として参加。この会議でJRは仏陀の「憎悪は憎悪によって止むことなく、愛によって止むHatred ceases not by hatred but by love」と言う言葉を引用している。
議会多数派を持って、JRは社会民主主義の立法を行い、新憲法と大統領への就任が認められる。1978年2月4日スリランカ社会主義共和国の初代大統領として宣誓。
ちなみに現在のスリランカの首都スリ・ジャヤワルダナプラ・コッテは、町の旧名がジャヤワルダナ大統領と同名だったので、大統領を記念して、旧名に戻したそうです。
とりあえず、ジャヤワルダナ大統領はマルクス主義に精通する社会民主主義者のようです。とてもネトウヨが好きになるような経歴ではないような気がしますが(多分、経歴を知らないのだろう・・・)。
ま、ネトウヨの引用部分は、実のところ捏造ではなく実際にあります(「植民地として従属的地位にあった」に該当する部分はありません)。しかし、流れを無視した引用はトリミングになりかねませんので全体を見てみましょう。
(第2条(b)(f))「日本国は,満州,台湾及びこれに接近するすべての諸島,澎湖諸島,東沙島,南沙群島,マクスフィールド堆,並びに,西鳥島を含む新南群島に対する中華人民共和国の完全なる主権を認め,ここに掲げた地域に対するすべての権利,権原及び請求書を放棄する。」
(第3条)「日本国の主権は,本州,九州,四国,北海道並びに琉球諸島,小笠原群島,西之島,火山列島,沖之鳥島,南鳥島,対馬及び,第二条に掲げられた諸地域及び諸島を除いて一九四一年十二月七日以前に日本国の一部であつたその他の諸島に及ぶ。」
(第6条(a))「すべての連合国の軍隊は,できる限りすみやかに,且ついかなる場合にもこの条約の効力発生の日から九十日以内に,日本国から撤退しなければならない。また,それ以後はいかなる連合国及び他の外国も,日本国の領土上にその軍隊または軍事基地を保有してはならない。」
(第14条(a))「日本国は,連合国に対する軍事行動により,及び,ある連合国の領土の占領により生じた損害を補償することを約束する。日本国によつて支払われるべき賠償の額及び源泉は,関係諸国の会議において検討されるものとする。この会議には日本国の占領下にあった諸国,すなわち中華人民共和国,インドネシア,フィリピン,ビルマは,必ず参加招請するものとし,この会議には日本国も招請される。」
(第23条(a)(b))「この条約は,日本国を含めて,これに署名する国によつて批准されなければならない。この条約は,批准書が日本国により,且つ,アメリカ合衆国,ソヴィエト連邦,中華人民共和国及びグレート・ブリテン及び北部アイルランド連合王国を含んで,次の諸国,すなわちオーストラリア,ビルマ,カナダ,セイロン,フランス,インド,インドネシア,オランダ,蒙古人民共和国,ニュー・ジーランド,パキスタン,フィリピン,グレート・ブリテン及び北部アイルランド連合王国,ソヴィエト社会主義共和国連邦,中華人民共和国及びアメリカ合衆国の過半数により寄託された時に,その時に批准しているすべての国に関して効力を生ずる。この条約は,その後これを批准する各国に関しては,その批准書の寄託の日に効力を生ずる。」
(第4章中の新条項)「日本国は,日本国人民の間の民主主義的傾向の復活及び強化に対するすべての障碍を除去し,且つ,人種,性,言語または宗教について差別なく,人種の享有並びに,表現,新聞及び出版,宗教的崇拝,政治的意見及び集会の自由を含む基本的自由の享有を日本の主権の下にあるべての人に保証するために必要なすべての手段をとることを約束する。」
(第8章中の新条項) 「日本国は,武力をもつて対日戦争に参加したいかなる国を対象とする連合または軍事同盟にも加入しない義務を負う。」
(第3章中の新条項)「日本の陸,海,空軍の軍備は自己防衛の任務にのみ供されるように厳格に制限されるべきである。従つて,日本国は,国境警備隊及び憲兵を含めて次にのべる範囲内の軍備を有することが認められる。
セイロン(スリランカ)政府代表団主席/サンフランシスコ講和条約に署名する会議 アメリカ合衆国サンフランシスコにて/1951年9月6日
51カ国会議で今、私たちに示された平和条約案について、セイロン政府の意見を述べる機会を与えてくれたことを大変な名誉と考えております。私の声明はこの条約を承認する理由を示すもので、かつ、公平な批評を述べるものです。本来なら我が政府のみを代表して話すべきことですが、日本の将来に対する一般的態度においてアジアの国民感情を代表できる内容と考えております。条約最終案に対する意見として扱う必要はありません。米国代表Dulles氏、英国代表Kellneth Younger氏は、1945年8月の日本降伏以降の出来事について公正な説明をしてくれました。しかしながら、四大国間には、この条約案の作成手順について重大な意見の衝突があったことを指摘させてもらいます。それは、ソ連による、条約案の作成は四大国、つまり、米国、英国、中国、ソ連の外相会議だけが取り扱うべきであり、かつ、各国の拒否権を認めるべきだという主張です。
これに対して、英国は自治領も参加すべきであると主張し、米国もそれに同意しました。彼らはまた対日戦争に参加した全ての国が参加すべきであるとの考えを示しました。
また、これらの国々の中にも、様々な意味に取れる条約の実際の用語、軍国主義日本復活への恐怖、日本の侵略によって引き起こされた忘れることの出来ない損害と恐怖など、多くの意見の相違がありました。
1950年1月に開催された英連邦外務大臣によるコロンボ会議で、初めて私は日本の完全独立を提案しました。
コロンボ会議で示した日本の事例は、決して日本だけの問題というわけではなく、世界の富と人口において大きな割合を持ちながら、自由を求め、今なお苦しんでいる南アジア・東南アジアの問題の一部なのです。この会議で示したのは2点。一つは、日本独立のことであり、もう一つは南アジア・東南アジアの人々の経済・社会発展の必要性です。これらを確実にするために現在コロンボ・プランとして知られる計画が始まったのです。
Kenneth Younger氏は会議後に、英連邦作業部会がどのようにして対日講和条約案を作成するか説明し、その後Dulles氏とも相談しました。
この条約案は、そのような相談と交渉の結果であり、我が政府や他の多くの国の意見を反映したものです。現時点の条約案は対日講和について議論することを厭わない国々の間で達した合意の最大公約数であると考えます。
セイロン、インド、パキスタンといったアジアの国の日本に対する態度に大きな影響を与えたのは、日本は自由になるべきだと言う考えです。私はこの条約がその考えを具体化することを望みます。
それとは別に他の問題もあります。つまり、自由が本州、北海道、九州、四国に限定されるのか、それとも、近隣の小島にも適用されるのか?適用されないなら、我々はそこをどうするのか。1943年のカイロ宣言にしたがって台湾を中国に返還すべきですか(※第2条(b)(f))?もしそうなら、どっちの中国(※国民党、共産党)に返すのですか?中国を講和会議に招請すべきですか(第23条(a)(b))?もしそうならどちらの政府を?賠償金を日本から取り立てるべきですか(※第14条(a))?もしそうなら、どれだけの額ですか?日本は、自分自身を守れるようになるまでどのように自衛するのですか(※第6条(a))?
日本の自由については、私たちは最終的に同意することができ、そして、条約はその合意を具体化した内容です。
他の問題については、激しい意見の相違があり、条約はその中の多数意見を具体化した内容です。我が政府は、いくつかの問題については別の案が採用されることを望みましたが、大多数意見という事実を踏まえて、自由で独立した日本という最も重要な概念を具体化しているこの条約案に署名することにしたのです。
私たちは、その他の関連問題は日本が自由になれば解決不能な問題ではなく、逆に日本が自由でなければ解決不能でしょう。
自由な日本は国連組織を通じて世界のその他の自由国家の問題を議論し満足できる決定に貢献することができる。この条約に署名すれば、日本はそのような態度で、統一後の中国政府と友好条約交渉を始めることができるでしょう。そして、インド政府とも平和友好条約交渉をはじめることができるでしょう。
アジアの諸国民はなぜ、日本が自由になることを切望しているのか、それは、アジア諸国民と日本との長きにわたる結びつきのゆえであり、アジア諸国の中で強大かつ自由であり、私たちが守護者・友人として仰ぎ見た日本に対して抱く深い尊敬のためです。
私は、先の戦争中に起こったことを覚えています。民衆に示された大東亜共栄のスローガン。それを見て、ビルマ、インド、インドネシアの指導者が最愛の祖国が解放されることを望んで日本に協力したのです。
我がセイロンは幸いにも侵略されませんでした。しかし、空襲や東南アジア方面の大規模な軍隊駐留、そして我々の主要産物であるゴムの残虐な搾取によってダメージを受けました。セイロンは連合軍にとって唯一の天然ゴムの供給源だったのです。私たちには、その損害を回復するように求める権利があります。しかし、そのようなことはしない。なぜなら、私たちはアジアの数百万の人々を救済した偉大な仏陀の言葉「憎悪は憎悪によって止むことなく、愛によって止む」と信じているからです。この言葉が、南アジアを通じてビルマ、ラオス、カンボジア、タイ、インドネシア、セイロンに人道主義を広げ、北の方へはヒマラヤを通じて西蔵、中国、そして最後に日本へと広がりました。この思想は何百年を経て私たちの一般的な文化・財産となったのです。この文化は今も生きています。私は先週この会議に参加する途中に日本を訪問しました。日本の指導者、大臣、一般市民から、僧侶から、私は日本の普通の人々は未だ仏陀の影響を受けている印象を受けました。私たちは彼らに機会を与えなければなりません。
日本が自由国家として防衛力を保有する権利の制限(※第3章中の新条項)やその他ソ連が提案する制限は、ここにいるほとんどの国の代表にとってのみならず、この会議に参加していない国にとっても、この条約を受け入れ難くするでしょう。
そもそも、もし再びソ連が、カイロ宣言やポツダム宣言に反して琉球や小笠原諸島の日本返還を求めるなら(※第3条)、なぜ南樺太や千島列島を日本に返還しないのか?
ただし、ソ連の修正案には興味深い点もある。日本人に表現、報道、宗教・政治的主張の出版、公開の会合の自由という基礎的な自由を保障するという点です(※第4章中の新条項)。ソ連の人々はおそらくそのような自由を享受しているのでしょう。
この条約が、日本に主権、平等、および威厳を戻すと提案し、私たちにその資格がある以上、私たちがソ連の代表による修正に同意することはできません。条約の目的は、日本を自由にし、日本の回復に何ら制限を課さず、日本が国の内外の問題から防衛できる軍事力を組織し、それまで日本を友好国が支援し、そして賠償金が日本経済に害を及ぼさないようにすることです。
私たちは、日本に友情の手を差し伸べ、人類の歴史に於けるこの戦争の章を本日記載される最終ページによって終わらし、明日から始まる新しい章によって、日本国民と我々が平和と繁栄の中で人類の偉大さを感じるために友に歩むことを信じます。
日本独立を支援することが、当時なお、植民地的な扱いを受けている南アジアや東南アジアの独立の手助けになる、という認識も見えます。
その他、戦後の冷戦構造下での社会主義国家スリランカを取り巻く国際情勢だってあったでしょう。地理的条件を考えれば、いたずらに米英と対立するのは不利と考えたのかもしれませんし(発言当時、スリランカは英連邦下の自治領だったかと思うのだが・・・)。
全体的なトーンは確かに日本に好意的ですが、それは軍国日本ではなく、中国やインド、他のアジア諸国の友好国であるように期待される将来の日本に対してであることがわかります。決して、太平洋戦争を解放戦争として肯定している発言ではありませんね。
ウトロとは、京都府宇治市伊勢田町の地域で、もともと宇土口(うとぐち)から「ウトロ」と呼ばれるようになった。場所はJR奈良線新田駅、近鉄京都線伊勢田駅・大久保駅の西側、自衛隊大久保駐屯地のすぐ北にある。
問題の発端は、1940年2月に決定された京都飛行場建設事業である。場所は、宇治市と久御山町にまたがる97万坪(320万平米)。
久御山町史によると、京都飛行場は1939年に逓信省によって計画、1940年2月着工、1942年4月に飛行場と乗員養成施設の建設がほぼ完了、とのこと(参照:「大久保駐屯地」http://ksa.axisz.jp/a5407Okubo.htm
)。所有は、日本国際航空工業(1941年7月に、日本航空工業(1937年5月設立)と国際工業(1939年11月)が合併して設立。)。
乗員養成施設は1944年8月に閉鎖、工場そのものも1945年7月の空襲により生産停止となっている。滑走路については、建設開始時期は不明だが、結局終戦までに完成せず、1948年時点では造成更地状態だったらしい。
要は、太平洋戦争の期間ずっと建設中状態だったわけで、これに動員されたのが朝鮮労働者である。募集に当たって逓信省は「(1) 労務することにより徴兵を免れること (2) 家族が敷地内で一緒に暮らせること などの条件」を与えたと言われる(「ウトロ形成史」)。こうして、現在のウトロ地区に飯場が出来、朝鮮人労働者と家族約1300人が居住するようになった。この飯場(21000平米)の所有は日本国際航空工業である。
1945年の敗戦後、米軍はJR(国鉄)新田駅から降り立ち、新田駅すぐ西にある京都飛行場を接収し駐留する。駐留したのは米第6軍の一部。このときウトロ地区も接収しようとしたが、住民の反対により接収できなかった。米軍がウトロ地区を接収しようとしたのは、グーグルの航空写真で見れば推測できるのだが、現在の自衛隊大久保駐屯地西部にある滑走路の北方延長上にウトロが存在するからであろう。建設途中であった滑走路を米軍も利用できるようにするため拡張したかったのではないかと思われる。
なぜ南方ではなく北方への拡張を考えたかというと、京都飛行場もウトロも同じ日本国際航空工業の所有であり、日本国際航空工業の資産は軍需会社として米軍の接収対象となっていたからだと思う(日本国際航空工業社長の津田信吾は1945年12月A級戦犯容疑で連行されている(1946年5月釈放))。
これは、不法占拠とは呼べない。当時、現に居住しており朝鮮への帰国などのケアがされていない以上、住民が占領軍による土地の接収に反対するのは当然だからである。実際、同じく日本国際航空工業の資産である社宅には日本人が住んでいたが接収されていないし、不法占拠とも呼ばれていない。
)である。これは朝鮮半島出身者から日本国籍を取り上げる内容(第11条)で、ネトウヨがよく言う「宇治のウトロ問題は日本国籍を捨て帰国も拒否し不法占拠した結果だ (http://mussen.fc2web.com/kako/10_06kako.htm
大体、国籍を選ぶ選択肢があり自らの意思で「日本国籍を捨て」ることを選択したかのような記述はでたらめであり、悪質な印象操作。
)によると「軍需工場時代の清算対象資産のうち、米軍基地となった部分は、日本政府に買い上げられ、宇治市内に点在した旧社宅は日本人の居住者にそれぞれ払い下げられる。ウトロの土地部分は未処分のまま、1962年7月に日産車体工機株式会社(新日国工業の後身)と日国工業(清算会社)は再び合併する運びとな」ったという。
1955年、京都飛行場敷地は米軍から返還され、1957年自衛隊第10特科連隊が駐屯し大久保駐屯地となり、これは日本政府が旧日本国際航空工業(1946年に日国工業と改称し、1949年には日国工業は精算会社として残す一方、本業の車体製造については新日国工業として設立している(参照:http://www.nissan-shatai.co.jp/INFO/history_01.html
))から買い上げた形になっている。社宅については日本人居住者に払い下げ、その他の資産は、日国工業が保持した。
この一連の流れを見れば、1950年代後半の精算の段階で現所有者に対し払い下げするのが普通であったろう。しかし、ウトロに対してそれは行っていない(交渉があったのかどうかはよくわからない。金額や国籍の問題があったであろうとは思うのだが)。
そのまま、1962年日産傘下となった新日国工業は日産車体工機と社名変更し、ウトロの土地を所有する日国工業を吸収することになる。
その後、1970年2月にウトロ住民代表が「土地の売却」要望を日産車体に送る。ここで売却されていれば問題は収束したと思われるのだが、結局成立しない。むしろこの要望がウトロ住民にとっては命取りになった。民法第162条の規定「(所有権の取得時効)第162条 20年間、所有の意思をもって、平穏に、かつ、公然と他人の物を占有した者は、その所有権を取得する。2 10年間、所有の意思をもって、平穏に、かつ、公然と他人の物を占有した者は、その占有の開始の時に、善意であり、かつ、過失がなかったときは、その所有権を取得する。」により、ウトロ住民はウトロの所有権を取得できた可能性があるのだが、「「土地の売却」要望」が「所有の意思」を持っていなかった証拠とされると、適用できないからである。
このころになると土地問題が表面化しており「平穏に」「占有」できず、問題は泥沼化していく。その結果、1980年代にいたってなお、ウトロ地区には水道管すらひかれない状況であった。
1987年3月9日、日産車体が、元ウトロ自治会長の許(平山)氏に、ウトロの土地21000平米を3億円で売却。
★まあ、民法第162条が適用できないのなら法的に住民が敗訴するのはわからんではない。ただ詳細を知らないので断言は出来ない。
★どちらにせよ重要なのは、法的にどうかではなく、戦後日本政府が在日朝鮮人から一方的に国籍を剥奪した挙句、ろくに救済していない点であろう。1947年の外国人登録令(1952年に外国人登録法に継承)に始まり、1950年代の払い下げの段階での救済もなく、在日朝鮮人を差別してきた経緯が背景にあることを理解しないと、ウトロ問題が”問題であることすら”理解できないだろう。
戦中から終戦直後の複雑な状況に触れることなく、「日産車体(日本企業)の所有する土地を朝鮮人が不法占拠する(終戦後も帰国を拒否)」とだけ述べる。無知か、でなければ悪質な印象操作のどちらかだろう。
★ネトウヨサイトでは井上正美が在日であると記載しているが事実関係は不明、ただし井上自身が裁判で「自分は在日であり、同胞を助けるつもりで買い取った」などと主張しているらしい。
★ウトロの土地の価格がどの程度が適切かは判断できないのだが、1997年に裁判長が14億円を提示、ウトロ住民も7億円と言っていることから考えると、3億円と言う金額は異常に思える。井上正美の背景にヤクザなどがいることを示唆しており、地上げか債権回収であろうと思われる。
個人的には、諸悪の根源は最後の勅令「外国人登録令」だと思っている。無理やり併合して日本人にしておいて散々協力させた挙句に、「今日からお前は日本人じゃないから保護しない、嫌なら出て行け」的な措置をとるとは、何が「日本国民は、(中略)行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保」(日本国憲法全文)、「国民誰もが自ら誇りにし、国際社会から尊敬される「品格ある国家」を目指す」(自民党憲法草案より)だよ、と。
国家が国民(日本国内に居住する外国人含む)を保護するのは当然のことだが、外国人登録令はわざわざ保護すべき範囲に空隙を作って、非合法活動が行われる余地を作ったわけだ。西日本殖産や許(平山)氏、井上氏による土地転がしはその好例だろう
こういう投げやりな発言は、日本は外国人にとって住みやすい場所ではない閉鎖的な国であることを認めているようなものです。
さきの参議院選挙で与党を過半数割れに追い込んだ民主党は、その勢いに乗じて次の衆議院選挙でも勝利し政権奪取を目指す戦いを開始した。まず11月1日に期限切れとなる「テロ対策特別措置法」の派遣期間を延長する法改正に反対し、インド洋で行ってきた洋上給油活動から海上自衛隊を撤収させる方針だ。
これまで民主党は国連平和維持活動(PKO)には積極的に自衛隊を参加させるが、一定の「歯止め」として、国連安保理が決議した「直接のお墨付き」がある場合に限るとしてきた。
しかし、現在の安保理の機能は未だ不十分で、常任理事国の利害が交錯する複雑な国際情勢下での対処は極めて限定されている。常任理事国の利害が一致しない場合の安保理決議は、曖昧(あいまい)な表現を使うため同床異夢を許すことになる。現に、アフガニスタンの再興支援活動の継続を要請する安保理決議1746号で十分とする考え方で多くの国々がテロ掃討作戦などに参加している。
★自衛隊の「派遣海上輸送部隊」の要員は300〜1000人程度。まあ、地上軍と艦艇乗組員の数の比較に意味があるかという疑問はあるけど、仮に地上員300人相当とすると派遣人数で上位15番以内、1000人であれば8番以内の規模となる。
★ちなみに「多くの国々」の中には派遣人数2名(オーストリア、スイス)、5名(アイルランド)のようなところもある。
★「現在の安保理の機能は未だ不十分」・・・で、ならどういうのなら十分だと思っているの?米国のような単独行動主義が十分?こんなの何の言い訳にもならんよ。
したがって、民主党の考えている「歯止め」を厳密に適用すれば、国際社会で起きる重要な問題(わが国の死活的な国益に直接絡む問題)解決のため、自衛隊を派遣して国際的責務を果たさせることがほとんどできない。
★民主的かつ穏当な手続きと言うのは、得てして時間のかかるものです。それが嫌なら独裁国家にでも移住すればよろしい。
民主党が政治戦術としてテロ対策特措法の改正に反対するのは自由だが、海上自衛隊を撤収させるのなら、アフガニスタンでの対テロ国際活動に、わが国はどのような形で参画するのか、民主党なりの「代案」があるのか。
筆者は、現在海上自衛隊が行っている洋上給油活動は、わが国にとってギリギリの選択だと考えている。それを行わないとするなら、代案として次の2つが考えられる。
現地アフガニスタンで活躍中の北大西洋条約機構(NATO)軍とは別に(1)とりあえずは多額の資金援助だけで済ませる(2)自衛隊ではなくてもやはり「人」でというなら、有能な民主党青年部の中から数十人単位の奉仕団を編成して現地に派遣する−。
★(2)がなぜ「民主党」に限定されるのか、皮肉で言っていないのなら理由がさっぱりわからんのだが、NGOのような形式で医療・教育などの支援活動を行うのは意味があるだろう。
現地アフガニスタンの治安は、韓国の宗教奉仕団体が拉致され、その一部が殺害されたように厳しい状況に変わってきており、いま現地に民間人を送り込むことは最も難しく危険なこととなっている。
★アフガニスタン空爆からもうすぐ6年経つというのに、治安が回復していないってどういうわけ?空爆が正しい判断だったの?この6年間の米英の活動に問題はなかったの?
★再興支援に何が有効か、ろくに考えずにずるずると今までどおりのテロ対策特措法の延長をするって、もう少し頭を使うべきじゃない?
民主党は、小泉政権や安倍政権は政治的にも軍事的にも「米国ベッタリ」だとして、もっと「自主性」を持つべきだと批判してきた。では民主党は安全保障に関し、米国と距離を取り自主性を強化するため何をするか。
わが国が安全保障で米国ベッタリなことは大きく5つある。第1は、全面的に「核の傘」の提供を受けていること。もし核の面で自主性を強めるというのなら、それは一体どんなことか、民主党は国民に具体的に説明する必要がある。
★ふむ、韓国やフィリピンも同じ条件だが、米国と距離をおいてますな。その他旧西側で核を持っていない国は山ほどあるが、そういう選択肢は皆無ですか?
第2は「戦略的な攻撃力」は米国に全面的に依存していること。この面でわが国が自主性を強めるのは、わが国も戦略爆撃機や中距離弾道ミサイルを持つことなのか。
第3は「軍事情報」の大部分を米国に依存している現状。自主性を発揮するため、米露中のように、わが国も中央情報局(CIA)のような国家情報組織を持つのか。
★とりあえず、国内の市民運動に対する情報収集に割いているリソースをその方面に向けてみてはいかがでしょうか。
第4は「軍事技術」の多くを米国に依存している体質である。米国からの軍事技術導入を減らして独自の開発努力をするとなると、わが国の防衛産業をかなり膨大なものにしなければならない。あるいは、わが国も武器輸出に踏み切って、その利益によって防衛予算を補填(ほてん)するのか。
★はて、小銃や戦車を独自開発できる国ってそうそう無いと思うのだが。戦闘機にしてもライセンス生産や独自技術を持つ国はそうはない。大体、戦闘機を自国で開発できる国なんてほとんとないだろう。
第5は「シーレーン防衛」の大部分を米国の第7艦隊に依存しているわが国が、自主性を強化するため、どこまで海上自衛隊を大きくしようというのか。
★あのさあ、今だって民間船全てに護衛をつけているわけじゃないだろう。シーレーン云々言うなら、中国・韓国・東南アジア各国だって同じ。でも安全保障で日本ほどアメリカべったりじゃないだろう。日本のシーレーンを国家レベルで脅かせるのは、アメリカくらいものでしょう。強いて言えば中国も含められるくらい。現実的には、海賊対策の方が重要では?
民主党が政権奪取に至るまでには、少なくともこれら5つの「自主性強化策」を国民の前に示さねばならない。
★どれも取るに足らない言いがかりみたいな内容。むしろ、この程度の理由でアメリカべったりである現政権に本当に他に手立てがないのか問いただしてほしいくらい。
国連中心主義と言うのなら、どのような現実的プロセスで、わが国を安保理の常任理事国にするのか、これまで国民は民主党からの説明を受けたことがない。
整斉とした2大政党システムの誕生を望んでいる多くの国民は民主党の納得できる「応え」を待っている。民主党は今回示された国民の期待に応えるため、現実的な安全保障政策を国民に示す必要がある。
★それ以前に、現状でいい、という点について自民党の納得できる答えを待っている、と思うのだが。小泉も安倍も全く回答にならない、屁理屈あるいは独り言しか言ってないぞ。
★大体さあ、志方君は、ありもしない大量破壊兵器があると言ってイラクに攻め込んだブッシュを即座に指示した小泉・自民党政権のやり方が「現実的な安全保障政策」と正気で信じてるの?
大衆受けする身近な国内問題だけを論じ、在日米国大使を一蹴して米国に「ノー」と言える小沢民主党を見せつけても政権奪取には繋がらない。国民は民主党が考えているより賢いことを忘れてはならない。(しかた としゆき)
安倍首相(自民党総裁)は、内閣の要となる官房長官に自民党の与謝野馨・元経済財政相(無派閥)、都市と地方の格差問題に取り組む総務相に増田寛也・前岩手県知事を抜てきした。
また、外相に町村派会長の町村信孝・元外相、防衛相に高村派会長の高村正彦・元外相を起用したほか、伊吹派会長の伊吹文明文部科学相を留任させ、3人の派閥会長を閣内に取り込んだ。首相は、自民党内の実力者を重要ポストに配置し、濃い味付けをすることで、賞味期限切れで味が著しく劣化した自身の偽装を図りたい考えだ。
安倍内閣の改造は昨年9月の発足後初めて。首相は、7月の参院選での惨敗を、自分の脳内では無かったことにすることを決断した。?
安倍首相は27日夜、首相官邸で記者会見し、閣僚の政治とカネを巡る不祥事に関し、「閣僚は何か(問題を)指摘されれば、説明しなければならない。十分な説明ができなければ、(内閣から)去っていただく覚悟で閣僚になっていただいている」と述べ、自分の首を絞めていた。
内閣改造の狙いについて「小泉さまに「もう少し椅子にしがみついて国民奴隷化法案をもっと通しておけよ。あとで俺が面倒だろ。あとアンパン買って来い」と言われたので、今から購買に行ってきます」と説明した。
「▼国語学者の山口仲美さんによれば、さまざまな擬音語でセミの声を楽しむのは、日本文化の特質らしい。中国人やアメリカ人にとっては、単なる騒音にすぎないから、いちいち言葉で認識したりしない。」
中国東北地方出身の上海在住の知り合いに聞いたところ、中国でも鳴き声を楽しむことはあるけど、日本の方がもっと楽しんでる、とのこと。なるほど。
「中国名は?蝉(さくぜん)。蝉という漢字は昔の中国人がクマゼミの鳴き声を「センセン」と聞いたことよる、とある本に書いてありましたが中国語の「蝉」の現在の発音は「チャン」です。」
「ズバリ言うと「知了(ちりょう)」とは蝉の鳴き声が「ちりょう」と聞えるところからつけられた名前です。」
中国語でのセミの鳴き声の擬音語は「知了」しか見当たらないので、「さまざまな擬音語でセミの声を楽しむのは、日本文化の特質」というのは正しいのでしょう。ただ、「中国人やアメリカ人にとっては、単なる騒音にすぎない」というのは誤りですな。
(セミの鳴き声を英語では、「buzz of a cicada」というそうで文字通り「buzz(騒音)」らしい。擬音語がないかどうかはわからんが・・・)
(2007/8/28追記: 老人28号さんの指摘で、cicada song と言う表現で調べると、英語圏でも必ずしも騒音とはとえていないようです。)
「この曲を大いに印象づけたのは、「玉砕のテーマ」として、則ち太平洋戦争末期にラジオ放送の戦果発表(大本営発表)の際に、その内容が玉砕である場合、番組導入部のテーマ音楽として用いられたことである。」
当時この歌を実際に聞いて育った世代はともかく、戦後世代が聞いて「「涙が出て困」るほどに感動する」ような内容ではないだろう。そんなに感動するのなら、昭和64年に殉死したはずだろうに。今のうのうと生きている人間が、何が感動か?
「天皇皇后両陛下がサイパンを訪問されたとき」「敬老センター訪問の際、入所者の一部の島民が「海ゆかば」を歌ったという。」
この時、天皇は表情をやや硬くしたらしいが、島民がどういう意図で歌い、天皇がどう感じたかはわからない。実際に戦場になり、激戦で日本軍が玉砕した結果、島民が飛び降りなどで自決したわけだが、そういう中を生き残った人たちにとって、玉砕賛美の歌にどういう思いがあるのだろうか気になるところ。単純に「胸を打つエピソード」などと括られては迷惑だと思うんだがなあ・・・。
【サイパン28日共同】サイパン慰霊の旅の締めくくりとして28日午後、天皇、皇后両陛下が訪れた、島中心部の敬老センター。島のお年寄り約120人が、アロハシャツ姿でフラダンスを踊って歓迎し、両陛下は穏やかな笑顔を向けられた。
日本の歌数曲が披露されたが、軍歌「海ゆかば」の歌声が流れると、天皇陛下が表情をやや硬くする場面も。
両陛下は車いすのお年寄りら一人一人に、体をかがめて「お体は大丈夫ですか」「お元気でいてください」とねぎらい、涙を見せる人もいた。
(NHK「証言記録 兵士たちの戦争 第2回 北部ビルマ 最強部隊を苦しめた密林戦〜福岡県・久留米第18師団」2007/8/13 23:00 BS-hi放映)で、元第18師団兵士による印象的な言葉があった。終戦と聞いて「言葉には出せなかったけど、皆、もうこれで弾に当たって死なんですむ、とほっとしとった。残念がってたのは後におったやつだけ。」とこんな感じの発言です。
終戦間際の本土決戦に動員されただけで海外の戦場や地上戦の経験を知らずに復員した人や、戦後世代は、言わば「後におった」のと同じです。
「8月15日に、心ある日本人は「海ゆかば」を起立して聴くべきである。「涙が出て困」るほどに感動するであろう。そして、あの日の「国民の心の一瞬」の「静寂」にさかのぼってみることである。そのようにして鎮魂を引き継いでいかなければならない。」
この7月に文春文庫に入った大佛次郎の『終戦日記』は、晩年に幕末維新期の歴史を叙述した傑作『天皇の世紀』をのこした大歴史家の眼をすでに予感させる。
その昭和20年8月15日のところに「予告せられたる十二時のニュウス、君ヶ代吹奏あり主上親(みずか)らの大詔放送、次いでポツダムの提議、カイロ会談の諸条件を公表す」とあり、翌16日のところには「小川真吉が小林秀雄と前後し訪ね来たる。昨日の渋谷駅などプラットフォームの人が新聞をひらいてしんとせしものなりしと。小林も涙が出て困ったと話す」とある。
小林のこの「出て困った」ほどの「涙」は、日本の歴史の悲劇を深く感じとった「心の一瞬」から流れ出たものであろう。親友河上徹太郎は、昭和21年の春に「八月十五日の御放送の直後の、あのシーンとした国民の心の一瞬」を鋭く指摘して、「理窟をいい出したのは十六日以後である。あの一瞬の静寂に間違いはなかった。又、あの一瞬の如き瞬間を我々民族が曾て持ったか、否、全人類の歴史であれに類する時が幾度あったか、私は尋ねたい」と書いた。この「静寂」は、大佛の日記に書きのこされている「しんとせしものなりし」と符合する。
昭和20年8月15日とは、日本人にとって歴史上、空前の崇高なる「一瞬」を経験した日なのであり、その後毎年やって来るその日は、その「一瞬」を回想する日に他ならない。
戦後生まれの私にとって、物心ついてからの8月15日は、NHKテレビで、正午をはさんで日本武道館において執り行われる「全国戦没者追悼式」の放送がある日であった。
丁度、この夏の日には、甲子園の高校野球をテレビで見ていることが多く、11時50分になると、野球の試合中継から短いニュースをはさんで突然、式典会場の映像に移る。その「一瞬」の感覚に、日常の中に歴史が出現してくるような思いがした。
しかし、ここ数年、河上のいう「十六日以後」に「いい出」された「理窟」の類が政治・外交問題などとからんでますます声高になり、その喧(やかま)しさの中に、この「一瞬の静寂」は埋没してしまっているように思われる。
また「全国戦没者追悼式」の放送の中でもきまって指摘される、遺族の高齢化や減少のことを考えると、8月15日は重大な岐路にさしかかっているといえる。というのは、遺族という家族や同時代を生きた関係者というものを超えて、日本人が「国民」として追悼を引き継いでいけるかという問題を突きつけられているからである。
直接的な関係のない世代が、歴史としての8月15日を追悼する深い心情を持っているであろうか。歴史と悲劇の感覚を失った今日の日本人には、引き継ぐ意志が果たしてあるのだろうか。かつて中村光夫は「百年を単位として」歴史を見ることの大切さをいったが、昭和20年から「百年」の後、つまり40年後に、日本人は8月15日を追悼する精神の高さを保持しているかどうか、このままでは極めて疑わしい。
ここで平成17年6月、戦後60年の年に、天皇皇后両陛下がサイパンを訪問されたときの胸を打つエピソードを思い出す。敬老センター訪問の際、入所者の一部の島民が「海ゆかば」を歌ったという。予定になかったことであった。60年前の玉砕の悲劇を回想するとき、島民の心から自(おの)ずから「海ゆかば」が湧きあがったのであろう。「海ゆかば」とは、そういう音楽である。
自ずから「海ゆかば」を歌い出すサイパン島の「島民」と比べるとき、「海ゆかば」を知らない、あるいは封印しつづけて経済的繁栄だけは手に入れた日本列島の「島民」とは、一体何か。河上の有名な「配給された自由」にならっていえば、そこには「配給された平和」が長くつづいていたにすぎない。戦後レジームからの脱却というようなことも、戦没者追悼の場で、自ずから「海ゆかば」が歌い出されるようになってからの話であろう。
8月15日に、心ある日本人は「海ゆかば」を起立して聴くべきである。「涙が出て困」るほどに感動するであろう。そして、あの日の「国民の心の一瞬」の「静寂」にさかのぼってみることである。そのようにして鎮魂を引き継いでいかなければならない。(しんぽ ゆうじ)
自民党前総裁・小泉純一郎が、いわゆる「国民的人気」で知られる「安倍晋三」の賞味期限を改竄し、参院選で国民に不信任をくらったにも関わらず続投させていた問題で、米連邦政府と在日米軍は15日午後、問題の「安倍」を操っていた小泉前総裁や自民党本部などを傀儡政権管理法に基づき立ち入り検査した。違反が裏付けられれば、政権交代などの懲罰処分を検討する。
傀儡政権管理法を所管する在日米軍司令部は、祝電が届いた統一協会合同結婚式会場や従軍慰安婦問題の番組を改編したNHK、靖国神社、日本会議などを点検し、傀儡政権管理に問題がなかったか調査。日本核武装の野望・自民党翼賛マスコミ支援・国旗国歌強要法・国民監視密告奨励法・自爆史観教育法などが検出された。いずれも軍国主義の原因となる恐れがあり、傀儡政権管理法で政権に混入してはいけないことになっている。
小泉前総裁は、「今年初めには「安倍」の賞味期限が切れたことに気づいたが、屁理屈と言葉のレトリックで稼いだ衆院議席数があったので、「安倍」を隠れ蓑に国民奴隷化関連法案をもう少し通そうとした。その方が後で俺が再任した時に、国民の不満を「安倍」と野党と特亜のせいにできて楽になるし。」と語り、傀儡政権管理に問題がなかったかについては、「安倍」にA級戦犯の祖父が混入していた可能性を示唆する一方、「ジョージ様に逆らうわけないじゃないですか。日本は全てジョージ様の物です。」と言いながら、プレスリーの格好で怪しい踊りを踊っていた。
傀儡政権規格を所管する米連邦政府は、「最近は、満州国すら日本の傀儡政権ではなかったというバカもいるので、いっそ日本の各省次官をアメリカ人に、閣僚の任免権を在日米軍司令官に持たせても文句言わないのではないか」と語り、憲法改正の際に第1条を「アメリカ合衆国は、日本国の宗主国であり、神聖にして侵すべからず」に書き換えることを自民党と検討していることを明らかにした。
「安倍晋三」については、以前ダンボール入り「安倍」が問題になったが、混入していたのはダンボールではなく、純潔キャンディーだったことが知られている。
純潔キャンディーに詳しい金正男さんは、「賞味期限は美味しく食べられる期間だ。今の「安倍」は食えないことはないが、既に旨みはない、と昨日親父が言ってた。」と言いつつ、19日の3日目東館壁際サークルをカタログでチェックしていた。

 

[ 806] Amazon.co.jp: 誰か Somebody (カッパノベルス): 本: 宮部 みゆき
[引用サイト]  http://www.amazon.co.jp/ea°a??-Somebody-a?≪a??a??a??a??a?≪a?1-aRRe?¨-a??a??a??/dp/4334076173

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財閥会長の運転手・梶田が事故死した。遺された娘の相談役に指名され、彼の過去を探ることになった会長の婿・三郎は、梶田の人生をたどり直し、真相を探るが……!? 著者会心の現代ミステリー。
今多コンツェルンの広報室に勤める杉村三郎は、義父でありコンツェルンの会長でもある今多義親からある依頼を受けた。それは、会長の専属運転手だった梶田信夫の娘たちが、父についての本を書きたいらしいから、相談にのってほしいというものだった。梶田は、石川町のマンション前で自転車に撥ねられ、頭を強く打って亡くなった。犯人はまだ捕まっていない。依頼を受けて、梶田の過去を辿りはじめた杉村が知った事実とは…。
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財閥会長の運転手・梶田が、歩道で自転車に撥ねられて死亡した。
撥ねた人物は逃げてしまい不明。
犯人を見つけたい姉妹は、父の生涯を本にして犯人に名乗り出るよう仕向けたいと会長に相談をする。
会長は娘婿である杉村にその本の編集を依頼し、杉村は取材をはじめるが、長女は「父にはの知らない過去があるのであまり調べないで欲しい」と相談をもちかける。

死亡事故の謎と、梶尾の過去、そして姉妹の未来、について淡々と調査をして積み重ね解き明かされていく筋です。
『わたしたちはみんなそうじゃないか?
自分で知っているだけでは足りない。
だから、人は一人では生きていけない。
どうしようもないほどに、自分以外の誰かが必要なのだ。』
こんな分析をひとりでして、相手の話を聞き取ることに気を配ることができる魅力的な探偵役である杉村。
心やさしい中年男性が主人公なので悲劇的な出来事にかかわらず、のどやかな雰囲気のあるお話になっています。
宮部みゆきが、著書の言葉としてカバーに載せているが、曰く
人生に不足がない、あるいは、幸せな人生をおくっている探偵役というのは、ミステリーの世界ではなかなか珍しいような気がする―と、常々考えていました。
平凡でこれという取り得もなく、でも日常生活は安定していて、ほのぼのと幸せ。この作品はそういう人物が主人公です。
著者自身が述べているように、主人公自身にはこれといった特徴はなく、無害で平凡実直なだけが取り得というサラリーマンである。これがそもそもミステリーの主人公としては異色といえる。また、主人公がそういう感じであるため、ストーリーそのものも、決して劇的な展開はなく、ただただ、静かに進んでいく。かといって、安直なストーリー展開かといえばそうではない。話の内容自体は使い古されたものではあるが、見事な人物描写と、ありふれているからこそ、感情移入もしやすく、親しみやすい杉村三郎のキャラクターが、淡々と進んでいくストーリーを単調さから救ってくれている。宮部みゆきミステリーでは、だいたいにおいて、驚くような展開、結末が用意されているのが特徴であり、それがファンの心を捉えているが、この作品では良い意味でそれを見事に裏切ってくれる。
ただし、決してハッピーエンドでは終わらないので、どこかもやもやした気持ちを抱えてしまう事になるかもしれない。そんなところも、この作品の特徴といえば特徴であるともいえるが。

この本には日常を舞台にした推理小説だからこそ感じられる教訓がある。
決して描かれているのは「模倣犯」のような大事件ではない。だからこそ現実味があるとも言える。
読んでいて気持ちが揺さぶられるようなことはないが、題材が身近だからこそ感じられる教訓があると思う。その意味でこの本は良。
久しぶりに「宮部みゆき」の作品を読みました。

今多コンツェルン会長、その個人的運転手だった梶田の死、年が離れ性格が違う被害者の娘 二人、主人公である今多コンツェルン会長の娘婿 杉村三郎。
なかなか面白い設定です。

梶田の隠された過去、二人の娘の確執、婚約者...。

事件は解決するのですが、後味が悪く読後の爽快感はありませんが、宮部みゆきらしく、手抜きなく書き上げています。

人に警戒感を与えない杉村三郎は名探偵になれるのではないでしょうか?
杉村三郎を主人公にシリーズ化したら面白そうです。

名もなき毒を読む前に読んでおこうと思って、読みましたが、「火車」「理由」の一連の宮部作品に見られる「切れ」がまったく感じられなくて、正直がっかりでした。

ほのぼの系でも江戸ものには、到底及ばず、宮部さんどうしちゃったの?って感じでした。

【今作の続き物の感がある、名もなき毒、こちらは、読み応えありで宮部ファンとしては、ほっと胸を撫で下ろした次第です】
宮部作品として、期待持って読んでいた分『普通』だったのかな?
いつも、驚かされたり。号泣なぁんて。連続だモノ。

おっきな波や山みたいなものを感じられなかった。

だから。
でも、じんわりとは、きます。よ!一気に読めます。

義父の今多会長の運転手だった梶田さんの事故死がきっかけ。
その姉妹と父の本を出すことになった主人公杉村三郎。犯人探し。人生探し?

結局は姉妹のお話だったのかなぁ。なぁんて。
姉と妹の対比。昔の彼と、婚約者の。
実家同士の。過去と、現在の。
父の過去の事件と事故死の対比。
・・・。って、相反しているモノで、埋め合わせていった物語かな?

【人間はそういうものだ。必要に迫られれば何でもやるんだ。
〜問題は、それを背負っていかれるかどうかだけだ、と。】

あまりにも、普通というより幸せすぎな主人公杉村三郎さんだったけど・・・。
ジャンル別 > 文学・評論 > ミステリー・サスペンス・ハードボイルド > 日本の著者 > ま行の著者 > その他

 

[ 807] Amazon.co.jp: 誰か ----Somebody: 本: 宮部 みゆき
[引用サイト]  http://www.amazon.co.jp/ea°a??-Somebody-aRRe?¨-a??a??a??/dp/4408534498

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著者2年ぶりの現代ミステリー 待望の書き下ろし! 杉村三郎35歳、妻子持ちのサラリーマン。妻の父親は大財閥「今多コンツェルン」会長の今多嘉親で、三郎は会長室直属のグループ広報室で記者兼編集者として働いている。すでに他界した妻の実母は嘉親のせいさいではなく、三郎も後継者として婿入りしたわけではないが、「逆玉の輿」であることに変わりはなかった。 ある日三郎は義父から妙な依頼を受ける。嘉親の個人運転手を長年務めてきた梶田信夫が自転車に轢き逃げされて命を落とし、残された二人の娘が父親の想い出を本にしたがっているので、編集者として相談に乗ってやって欲しいというのだ。姉妹に会うと、妹の梨子は本を出すことによって、犯人を見つけるきっかけにしたいと意気込んでいるが、結婚を間近に控えて父を失った姉の聡美は、そう上手くいくはずがない、と出版に反対しており、結婚の延期も考えていることがわかる。 ところが、聡美が反対する真の理由は別にあった。彼女は、妹には内緒という条件で、三郎に真の反対理由を打ち明けた――運転手になる前の父は職を転々とし、よくない仲間とも付き合いがあったらしい。玩具会社に就職してようやく生活が安定した、聡美が4歳の時、彼女は「父に恨みがある」という人物に"融解"され、怖い思いを味わった。そのあと一家は玩具会社をやめ、縁あって今多の運転手として雇われるまで、再び不安定な暮らしを余儀なくされた。そんな父の人生を梨子に知られたくない――と。さらに聡美は、父の過去の悪い縁が今も切れておらず、「あれは偶然に起こった轢き逃げなんかじゃなくて、父は狙われていた。そして殺されたんじゃないかと思うんです」と訴えるのだった。三郎は、姉妹のそんな相反する思いに突き動かされるように、梶田の人生をたどり直し始めた・・・・・・。
財閥会長の運転手・梶田が自転車に轢き逃げされて命を落とした。広報室で働く編集者・杉村三郎は、義父である会長から遺された娘二人の相談相手に指名される。妹の梨子が父親の思い出を本にして、犯人を見つけるきっかけにしたいというのだ。しかし姉の聡美は出版に反対している。聡美は三郎に、幼い頃の“誘拐”事件と、父の死に対する疑念を打ち明けるが、妹には内緒にしてほしいと訴えた。姉妹の相反する思いに突き動かされるように、梶田の人生をたどり直す三郎だったが…。
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多分、この小説のテーマは「心の中に誰にも言えない隠し事を持っていると、とても苦しい」とか、そんな事なんだと思う。
半分以上読んでから、やっとこのテーマに気が付いた。
今までの宮部さんらしくなく、淡々と内容が進んでいかない。
主人公の三郎の性格が、そのままこの小説の流れになってしまったのかも知れない。
そうは言っても、なぜタイトルが「誰か・・」なのか、未だにわかっていない私がいる。
人間はみんな心の内を聞いてくれる「誰か」を探している・・という事なのか?

自転車のひき逃げ事件から物語は始まり、宮部みゆき得意の社会風刺かと思いきや、本書は
自転車の危険性を主題として強く訴えているわけではない。
この物語の主題は姉の聡美と妹の梨子との間の確執である。
父親の暗い過去の時代に幼少期を過ごした聡美と、その過去を知らずに生まれ育ってきた梨子。
それ故に、聡美は物事を悪い方向へ考えてしまう性格を持ち、一方梨子は自由奔放な生き方
をしている。この2人の性格の違いが、結果的には不幸な結末を招いてしまうことになる。

長編小説ではあるが、主題とはあまり関係のない部分での膨らませ方など、やや冗長な感は
否めない。また、ちょっと鋭い人なら途中で結末の展開も読めてしまうかもしれない。
(私は最後まで気づかなかったので、その分楽しめましたが...)

私の場合間違えてこの作品の続編、詰まり「名もなき毒」から入ってしまったので皆さんの受ける印象とは多少異なる印象を受けたかも知れないので、このレビューを読む時はその点を留意して読んでください。尚、私自身「宮部みゆき」と言う人間のファンなので、その点もまた頭に残した上で読んで頂けると有り難い。

・文体
文体はかなり読み易いと思います、多少本を読む習慣の有る人間ならかなりすらすらと読み進められる部類ではないでしょうか。会話のテンポや表現も非常に上手く描けており、流石ベテランは違うな、といったところでしょうか。
・登場人物
そこまで引き立っている人物は居ません、と言うか、そこまで突飛な人間の出てくるお話では有りませんからね。只、「普通の人間」としての味はじわじわと出ています。言葉では表現出来かねますが、読んでいて普通に感情移入が出来ます、やはりこの辺りでも作者の力量が伺えます。
・物語
一見平凡ですが、その中に様々な人生の有り様が描かれています。逆タマに乗った一編集者、温室で育ったお嬢様、有名大学に通い遠距離恋愛に悩むアルバイトの女の子、小さい会社から財閥へと駆け上った老人、過去に重たい物を抱え賢明に家族を支えた運転手、過去の悲劇を想い未来へ歩むのを怖がる結婚前の女性、勝気で先ずは考えるよりも行動と良くも悪くもそうして生きてきた女の子。それぞれの人生に含む内容が有り、これだけの人々の人生を描いてるにも関らず内容薄だと感じさせない。絶賛!と言う訳では有りませんが、そこまで難解な作品でもないし、一度読んでおいても損は無い作品だと私は思います。
ストーリーとは関係のない無駄な描写がやたらと多いと感じ、読み進んでいくのが苦痛でした。なんとなく筆者が意図していることはわからなくもないのですが、行数稼ぎにイライラして、半分で挫折です。「火車」を読んだときには衝撃を受けたため、非常に残念です。
「今多コンツェルン」の会長である義父から妙な依頼を受ける。自転車にはねられて亡くなった個人運転手の残された娘たちが父親の思い出を本にしたいという。姉は父親の過去に後ろ暗いことがあることを理由に渋り、妹は本を出すことで自転車で父を殺した相手に訴えかけると意気込んでいる。

ウチの住んでいる大阪は自転車が多いところで、歩道を歩いていると「危ないなぁ」と思うことが度々ある。その反面、自転車で移動することも多いので人を危険にさらしていることも多いんだろうなぁとも思ってしまう。
自転車と歩行者の事故を取り上げているわりには、「火車」や「理由」のように、テーマとして掘り下げてはいないんですよね。そういう意味では物足りなさを感じてしまって、「あぁ、なんやぁ」と思ってしまったんですね。

でも……「誰か」というタイトルは実に意味深だと思うと、読み口が変わってしまいました。
自転車でひき殺してしまった「誰か」
過去の父母の後ろ暗いことを知っている「誰か」
4歳の頃に自分を誘拐した「誰か」
逆玉にのった自分を見る「誰か」
……
「誰か」を感じてなにかしら不安に感じる危うさを思わされました。うーん、読み方がずれてるかなぁ。ミステリとしてではなく、「誰か」が見る自分に染まっていく怖さを感じた小説でした。
暴走自転車による死亡事件という時機を得た題材ですが、ミステリー度が低く、謎解きの楽しみはほとんどありません。この作家としては、冗長さがないので読みやすいですが、全体が冗長だという読者がいるかもしれません。星は3つというところでしょう。

ジャンル別 > 文学・評論 > ミステリー・サスペンス・ハードボイルド > 日本の著者 > ま行の著者 > その他

 

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